先日、ある映画を見るために映画館に行った。
その映画の途中で中学校の教室の描写があった。
40人ほどの生徒が小さな教室にひしめき合っている。
学校を描いた物語であれば描かれて当然の何気ない風景だが、ふと、以下ような印象をうけた。
「密だな」
少し前までは当たり前だった風景。
作品自体は何も変わっていない。
しかし、コロナが作品を取り巻く現実世界の方を一変してしまった。
マスクもつけずに何十人もの人間が閉鎖的な一室にいることは、もはや「非現実的」な風景になった。
そこで一つ疑問が浮かんできた。
映画の登場人物は、いつマスクをつけるのだろうか。
画面に映る生徒が皆マスクで顔を覆ている風景。
確かに今想像すると不自然なように聞こえる。
しかし、その違和感はいつまで続くだろうか。
不自然に感じるのは、まだどこかで「マスクをつけない生活が返ってくるかも」という微かな期待があるからではないか。
だとすれば、マスクをつける、リモートでの顔合わせといった今の生活が常態化し、もはやコロナと一生共に生きていくことが確定したならば、いつまでも映画の登場人物も顔下半分を露出している必要はない。
本稿ではどういった条件を満たせば映画の登場人物がマスクをつけ始めるのか検討してみる。
映画の登場人物がマスクをつけ始めるのはいつか
マスクやコロナが主題の映画がつくられる
まず、映画の中でマスクをした登場人物が出てくることが避けられるとすれば、それはなぜか。
答えは簡単だ。
不自然だからである。
いくら現実でマスクをつけることが日常化したからといって、創作物の中において、登場人物が全員マスクをしている作品を我々はまだ知らない。
つまり、「スクリーンの中でマスクをつける」という見慣れなさがノイズとして作品に紛れ込むことで、観客の注意を無駄に引いてしまうのである。
作品のストーリーに関係ない部分に注意をひくリスクを製作者がとるとは思えない。
突破口があるとすれば、それはマスクをしている登場人物が不自然ではない物語だ。
例えば、マスク自体を主題にした映画や、コロナをモチーフにした映画、近未来のSF物などだ。
こういった前衛的な作品から順に全員マスク化がおこなわれる。
そうすれば、徐々に創作物の常識が変わり、マスクと無関係な作品にも波及していくだろう。
ファッションの一部として定着する
次に映画の登場人物がマスクをつけるの条件として考えられるのは、マスクがファッションとして定着することだ。
今はまだマスクはファッション上の理由ではなく、疫学上の理由で付けられる。
マスクがおしゃれの一部になれば、創作物の中でもマスクをファッションとして身に着ける登場人物が徐々に増えていくだろう。
わざわざマスクをおしゃれとしてつけるなんて考えられない?
しかし、思い出してほしい。
われわれはすでにマスクをファッションとしてつける人種を知っている。
マスク女子と呼ばれた種族だ。
彼女たちはあえて、顔の下半分をマスクで隠すことで、その隠された部分は相手の想像で補わせる。
化粧で美しく変化させやすい上半分を相手に見せ、それとバランスの取れた下半分を想像させることで、自分を実際より美しく見せるという高等技術だ。
隠すことがおしゃれということは何もあり得ない話ではない。
実際、バーバリーなどの有名ファッションブランドでデザインマスクが販売されている。
世界的ファッション雑誌vogueのweb上でも2020年5月ごろからマスクの記事が激増している。
マスクネイティブの誕生
決定打になると考えられるのはマスクネイティブ世代の誕生だ。
コロナで日常的にマスクをつけるようになったとはいえ、我々は着けない時代を記憶している。
コロナをつけずに過ごした時間の方が、つけて過ごした時間よりも圧倒的に長い。
そのため、マスクをつけるのが日常化したとはいえ、まだ少なからず「異常」の感を覚える。
これまでの人生でできた常識が変わるのはまだ時間がかかるだろう。
しかし、コロナ以後に生まれた子供たちはどうか。
生まれたときから家の外ではマスクをしていることになる。
であれば、物心つく頃にはマスクをつけることに全く違和感を覚えない子供が誕生していることになる。
マスクネイティブ。
時代とは、歴史を覚えているものがいなくなったときに変わるものである。
まとめ
マスクが映画の登場人物全員に装着されるためには、「マスクをつけないことが不自然」になり、それが物語進行の妨げになるほど観客の注意を引くようにならなければならない。
そのためには我々の常識がもう一段階変わる必要がある。
その変化を作るのはだれか。
常識を変えるのはいつだって前衛的な少数派だ。
だから、前衛的な設定の映画作品で実験的にマスクがつけれ、ハイエンドのファッションから新たなモードが作られる必要がある。
そして、その新しい常識で育った人口が増えたときが、社会の常識変革は最終フェーズに突入する。
そうなったときにはマスクを着けていない人物が登場する作品は「ハレンチ」になっているはずだ。