【感想】『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』があまりに普通すぎた…【ネタバレ注意】

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※ネタバレ注意

2021年3月8日に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を先日観てきた。

感想をひと言で述べるなら、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』はあまりに普通すぎた…

【感想】『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が普通すぎた…【ネタバレ注意】

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のゲンドウと物語展開

貞本 義行『【愛蔵版】新世紀エヴァンゲリオン 7』KADOKAWA、2021年。

まず根本的に、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は、物語の展開がエヴァンゲリオンシリーズを通して一番矮小で普通だった。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を要約するなら、成人した息子がみっともない親父に説教を垂れ、尻ぬぐいをする普通の家庭の物語だった。

そのような印象を抱いた原因をいくつかの要素に分解して挙げてみよう。

まず、この作品で描かれている「ラスボス」ゲンドウが、エヴァンゲリオンシリーズを通して一番矮小で普通の親父だった。

従来エディプスコンプレックス的モチーフとして考察されてきた「強大な父」としてのゲンドウは本作にはいない。

描かれていたのは、「みっともない普通の親父」としてのゲンドウだった。

精神的にヨワヨワで息子に終始精神的に成熟度合いで圧倒される始末。

例えるなら、普段威張っている父親が酔いつぶれていたり、電話で上司にペコペコしている姿を見て、息子が幻滅するイメージ。

本当に普通の親父として描かれていた。

シリーズを通して一番人間味があるとも言えるだろう。

これでゲンドウが、エヴァ13号機に搭乗する際にパツパツのプラグスーツを着ていれば、矮小さは完ぺきだったかもしれない(笑)

さらに決着も矮小で、戦闘ではなく、ましてや哲学的で抽象的な問答でもなく、ゲンドウによるシンジへの俗な心情吐露であり、普通の話し合いだった。

妻のユイへの想いと、人付き合いが苦手であることをみっともなく吐露するゲンドウ!

しかし、シンジ君の成熟っぷりを前にしてあえなく敗退。

シンジ君に「大人になったな」と告げて、背中を丸めて去っていくゲンドウの後ろ姿は最高に哀愁が漂っていた。

普通の親父だ。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のシンジとヒロインたち、そして承認と成熟

では、元々内向的こじらせ少年だったシンジ君が、親父を圧倒するほどに精神的に成熟したのは何か劇的な展開があったからではないのか。

例えラストが「普通」でも、そこに至るプロセスが劇的だったのではないか。

さては、ヒロインであるアスカやレイから絶対的な承認を受けて力が沸き上がったのではないか。

はたまた、世界を救うという大きな物語と使命に目覚めたのではないだろうか。

いや、シンジの成長のきっかけとなるような劇的なことは何もなかった。

あったのはありふれた「普通」の日常だ。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版Q』のラストからの続きで、シンジとレイ(Qに出てきた破とは別の個体)、アスカの三人が、フォースインパクトが起こった世界を放浪するシーンから映画は始まる。

そこを大人の姿になったかつての同級生鈴原トウジと相田ケンスケに助けられ、彼らが営むニアサードインパクト生き残り集落に案内される。

そこでシンジは友人をはじめとするコミュニティの人々に優しい扱いを受ける。

最初は『シン・エヴァンゲリオン劇場版Q』で世界のために頑張ろうとするが、やることなすことうまくいかなかったことにいじけていたシンジ。

「なんでこんな僕に、皆優しいんだよ!」とかえって頑なになる。

しかし、問題は「普通」に時間が解決し、友人たちと打ち解ける。

そこには、猛烈な承認欲求にかられたかつてのセカイ系的な主人公はいない。

ヒロインたちもシンジに絶対的な承認を与え、二人だけのセカイを築いたりはしない。

早々に、新しいコミュニティになじみ、居場所を見つけてシンジをよそにエンジョイするレイ。

「ケンケン」と呼び、相田ケンスケとの関係(もしくは今後の進展)をにおわせる初恋だったかもしれないアスカ…

作中でのアスカの言葉を借りるなら、主人公をよそに「先にちょっとオトナになった」ヒロインたち。

もちろん主人公に対して好意的に接するシーンはあるが、あくまで相対的な承認だ。

その承認は、コミュニティから主人公に向けられる承認の中の一要素に過ぎず、そこにはセカイ系特有の「君が好きでいてくれるなら僕は世界をも敵に回せる」という絶対的な承認ではない。

シンジは、普通に「社会」の中で承認を受ける。

男女関係か親子関係しか描かれてこなかったエヴァンゲリオンで初めて登場する「社会」。

そこから得られる承認は、自意識と世界の命運が直結するセカイ系の強烈な承認とは違い、言うならば「緩やかな承認」だ。

しかし、その「緩やかな承認」を受けてシンジ君は普通に自立する。

普通に社会生活を営み、普通に立ち直り、普通に自立して大人になるシンジ君がそこにはいた。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が普通であるということ

しかし、普通に社会を営む中で得られる「緩やかな承認」を元に自立し、強くあるということは、よく考えてみれば非常に難しいことだ。

誰もが、普通は嫌だ。

承認欲求にかられ、特別になりたくて、のたうち回る。

大人になったつもりで、今の自分を肯定できない。

自分に才能があれば、チャレンジしたのに。

自分にやりたいことがあれば、情熱で突き進めるのに。

自分を肯定してくれる女性がいれば、強くいられるのに。

自分に劇的な使命があれば、人生にコミットできたのに。

誰もが物語の主人公と違って自分が特別ではないことを理由を言い訳に、強くあろうとしない。

今の人間関係からでも何かは得られているはずなのに、それでは満足でいない。

架空の物語のような特別な何かが自分の人生にも起きないか期待する。

「緩やかな承認」以外の承認なんて、現実ではそうそう得ることはないのに。

まさに、宇多田ヒカルによる『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の主題歌に出てくる「寝ても覚めても少年マンガ 夢見てばっか 自分が好きじゃないの」という歌詞がぴったり過ぎて、突き刺さる。

宇多田ヒカル『One Last Kiss』

しかし、シンジは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』において、その普通の「緩やかな承認」だけで、強く自立し、親父と決着をつけるために立ち上がる。

非常に地に足のついた実存の在り方だ。

作中のカオルの言葉を借りるならば「君は(イマジナリーのセカイではなく)リアリティの中ですでに救済されていたんだね」と言えるだろう。

これは、生半可なことではない。

自分もそうありたくて現実ではなかなかそうはなれない姿を、シンジに突き付けられ、その「尊くもありそうもなさ」に涙腺が緩む。

ましてや、ずっと過去のシリーズで、自己啓発セミナー的な承認を受けたり、ママのクローンであるヒロインからよちよちされて承認を得たり、世界でヒロインと二人っきりになるなど、承認欲求と自意識をこれでもかとこじらせた姿をみせてきた、シンジ君が、そのような「普通」の成熟を見せたのだ。

おお…よくぞここまで…!

号泣不可避である。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は最高に普通で、普通に最高だった

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は何から何まで普通だった。

今まで話したように、物語展開もラスボスも決着も主人公の成長も「普通」だ。

大人になれないチルドレンであるシンジ君が大人に成長した姿を見せるというラストも、物語展開的に予想できた「普通」だ。

その大人のシンジ君の声優が神木隆之介だというのも、昨今の「普通」の一般受けするアニメ映画にありがちの「普通」だ。

シンジ君が前向きな掛け声とともに、ヒロインと駆け出してくエンドもチープで「普通」過ぎる。

「普通」に映像のクオリティが高く、「普通」にお涙頂戴の物語だった。

しかし、その「普通」の結末を迎えたのは、これまで、過剰な演出とメッセージ性と文脈と考察と期待が注ぎ込まれてきた『エヴァンゲリオン』なのだ。

内向性とアダルトチルドレンと引きこもりとオウムとサブカルチャーと心理主義の象徴とされた『エヴァンゲリオン』なのだ。

エヴァとシンジは普通に大人になったのだ。

いやもう、ありがとうだ。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』というラストは最高に普通で、これ以上ないくらい普通に最高だった。

映画が終わってしばらく放心状態になってしまった。

「全てのエヴァンゲリオンへ、さよなら」

はぁ…もう一度観ようかな…

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』はやっぱり普通だった!

もう一度『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の感想を述べよう。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』はあまりに普通すぎた!

↓↓ちょっと疑っていました。ごめんなさい…

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