『鬼滅の刃』の魅力とヒットの秘密~進撃から鬼滅へ~

漫画・アニメ
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約束のネバーランド』という作品を知っているだろうか。

白井カイウ, 出水ぽすか『約束のネバーランド 1』集英社、2016年。

ストーリーの類似性からも2010年代の王進撃の巨人』のジャンプにおける後継と目されていた。

しかし、2020年、王位は簒奪された。

全く異質の想像力によって。

その逆賊の名は『鬼滅の刃』。

進撃の系譜は途絶えた。

進撃が死に、鬼滅が残った。

吾峠呼世晴『鬼滅の刃 8』集英社、2017年。

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『鬼滅の刃』の魅力とヒットの秘密~進撃から鬼滅へ~

『鬼滅の刃』大ヒットは何故!?「つまらない」は早計?

アニメ映画『劇場版『鬼滅の刃』無限列車編』は最新の興行収入が12月13日までに300億円を突破するという大ヒットを収めた。

鬼滅の刃の興行収入は日本ランキング1位の『千と千尋の神隠し』の308億円に迫る勢いが続いている。

鬼滅の刃の勢いは他の数字でも明らかで、amazonでの「コミック」ランキングの上位20位までを鬼滅の刃のコミックが独占するという異常事態も発生した。

まさに大ヒットである。

では何故鬼滅の刃はこれだけヒットしたのだろうか。

ネガティブな側面からよく言われるのは「マーケティングの成功」というものだ。

いわく「鬼滅の刃はそれほど面白くはない」「他で見たような設定ばかり鬼滅の刃は使っている」「にもかかわらずこれだけヒットしているのはSNS等のマーケティングでバズったからだ」「ヒットしているから見ている人が大勢いる」などなど。

たしかにそのような鬼滅の刃自体の面白さ以外の要因もあるかもしれない。

鬼滅の刃は確かに良い作品だが、売り上げや社会の影響力の数字ほど圧倒的に他の作品を面白さで凌駕しているとは考えづらい。

これまでに読んだ漫画・見たアニメのNo.1に上げる人は、ヒットの大きさ程には圧倒的ではないように思う。

なのでマーケティングの成功や祭り効果という指摘は部分的には正しい。

実際に、amazonでのアニメ配信や全年齢型コンテンツ、コロナの影響など鬼滅の刃の内容の外にヒットの要因を求める考察も少なくない。

しかし、ここで一つ疑問が残る。

なぜ、ヒットするのが『鬼滅の刃』でなければならなかったのか。

もし仮にヒットの理由がマーケティングの成功などの外部要因あるならば、別にヒットしたのが鬼滅の刃じゃなくてもよかったはずだ。

にもかかわらず、なぜ『鬼滅の刃』だけがここまでの大ヒットを記録できたのか。

そこには、鬼滅の刃内部の、内容としてのヒット要因があるはずだ。

鬼滅の刃自体にマーケティングなどの外部要因のサポート効果を最大化できた内部要因があるはずだ。

本稿では『鬼滅の刃』ヒットの内部要因を、「外部要因の恩恵の最大化」という観点から分析していく。

吾峠呼世晴『鬼滅の刃 23』集英社、2020年。

『鬼滅の刃』ヒットを取り巻く現在の消費動向

まず、鬼滅の刃を取り巻く消費状況から整理する。

しばしばビジネス書等で言及されるのは、今が「モノからコトの時代」ということだ。

例えば山口周『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』では下記のようなことが述べられる。

「モノ」がそこら中に溢れている時代においては単に性能のいい「モノ」が提供されることを消費者は求めない。

消費することでどれだけスペシャルな体験が得られるかという「コト」を提供できなければならない。

山口周『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』ダイヤモンド社、2019年。

機能から感情へ。

これを漫画・アニメのヒットを考える際にも当てはめてみよう。

作品の内容がどれだけ素晴らしく、革新的かという「モノ」的な価値以上にも、その作品を読んでおくことで得られる、例えばインスタ映えや友達とのコミュニケーションのネタ、という「コト」的な価値も重要となるということだ。

つまり、「いっちょ読んどくことでどれだけノレるか」という話だ。

しかし、話は単純ではない。

漫画・アニメという商品の特性上、「コト」的価値を最大化しようとすれば、「モノ」的な価値を棄損しかねない。

万人がノレるようにわかりやすいものヒット作品を目指すと作品の深みがなくなってしまう。面白くなくなってしまう。

SNSの一つの投稿への注意持続が平均7秒以下というデータもあり、そのような物凄いスピードの消費環境に古コミットして作品を作っていたならば、内容がぺらぺらになってしまう。

結果、おもしろくないものは売れない。

そこで、最初に立てた「ヒットの内部的な要因」という問いは以下のように言い換えることができるだろう。

「コミュニケーションの餌にしたにもかかわらず作品内部の魅力が失われない鬼滅の刃の特性は何か」

「現在の超スピードの消費環境」に耐えうる『鬼滅の刃』魅力とは一体何なんだろうか。

『鬼滅の刃』における物語と感動のサプリメント化

鬼滅の刃の画期的なところはずばり、物語と感動をサプリメント化したことにある。

どういうことか。

まず考えたいのは、なぜ鬼滅の刃は泣けるのかということだ。

無限列車篇の煉獄杏寿郎の死をはじめとして、堕姫&妓夫太郎の兄弟愛など、泣けるシーンが盛りだくさんである。(この時期ならもう大丈夫ですよね。煉獄杏寿郎は死にます!笑)

通常、キャラの死によって読者の涙を誘う際には、長い時間をかけてキャラクター同士の関係性を描き、そのキャラが死ぬことで喪失感を演出する。

しかし、鬼滅の刃はそのタイプの作品ではない。

煉獄杏寿郎が主人公の竈門炭治郎に積極的に絡み始めてから死ぬまで、コミックスにして1巻ほどである。

作品内部の時間経過では、列車に同席しただけの関係性である。笑

回想も取ってつけたように死の前後に配置しているだけで、長く深い伏線はない。

鬼滅の刃には特別な設定も、予想外のストーリーもない。単純すぎるほどお涙頂戴の正義や家族愛。

にもかかわらず煉獄さんが死んだときには涙腺が緩んだ。

鬼滅の刃はよく見かけるような単純な設定とストーリーにもかかわらず、感情を動かす力がある。

例えるなら、「同じユニクロ着てるはずなのに、あいつだけかっこいいじゃん」「同じ食材を使ったはずなのに」ということである。

これは何故か。

着ているものが同じなら、着こなしが違うのだ。

使った食材が同じなら、料理の仕方が違うのだ。

つまり、単純でありきたりでわかりきった設定と展開を使用しても、強引に読者の感情を揺さぶれる技量が吾峠呼世晴氏にはあるのだ。

鬼滅の刃はセリフ回し、間の取り方、キャラの際立たせ方が抜群に上手いのだ。

登場時の煉獄は、「うむ!」「断る!」「だからどうした!」などの断言系ひと言がセリフの中心で、単純な脳筋のように見える。

死の間際も変わらず同じようなセリフを言う。

だから、煉獄自身が物語を通じて変化したり、主人公との関係性において煉獄が変化したということはない。

しかし、彼らの関係性を取り巻く状況は一変している。

猗窩座という上弦の鬼が絶望として立ちはだかっている。

勝利の見込みは薄い。

にもかかわらず煉獄は変わらない。

「うむ!」「断る!」「だからどうした!」

どのような状況になっても変わらない同じ姿勢を貫き通す。

その姿勢にしびれる。

その意志の在り方に感動する。

そして、その意志が母につながるものだという回想。

もはや煉獄という個を超越した大きな意志。

関係性を深く彫りしないスタイルでなお感動を誘う素晴らしい演出だ。

視聴者と同じように、とてもありそうもない意志を目の前にしたときの震えが、炭治郎にも生じたのだろう。

炭治郎はたまらず、煉獄との戦いから敗走しようとする猗窩座に向けて叫ぶ。

「煉獄さんの方がずっと凄いんだ!!煉獄さんは負けてない!!誰も死なせなかった!!戦い抜いた!!守り抜いた!!お前の負けだ!!煉獄さんの勝ちだ!!」

ベタなセリフのこれでもかという上塗りの畳みかけ。

炭治郎自身も頭では考えていないのだろう。

ただ煉獄の意志に感染し、衝動に突き動かされている。

だから、べたで単純なセリフしか出てこない。

だがそれがよく場面とマッチしている。

関係性を描かない中で、演出の力で短時間に感動を引き起こす。

それが、漫画で言えば1巻を単位として感動がパッケージ化されている。

本来であれば長時間かけた描写で用意しなければいけなかった「感動」を1巻に濃縮。

正に鬼滅の刃は「感動と物語のサプリメント化」に成功している。

その結果、「コト」的価値重視の「現在の超スピードの消費環境」においても、鬼滅の刃の「モノ」的価値・作品の内容的な価値を減衰することがない。

漫画・アニメにおける革命。

設定・ストーリーから演出へ。

鬼滅の刃はまさに漫画・アニメのニュースタンダードを確立したといえるだろう。

何故『約束のネバーランド』は『鬼滅の刃』ほどヒットしなかったのか

2010年代は『進撃の巨人』の時代であった。

『進撃の巨人』は正に設定とストーリーを練りこんだ「コト」的価値の極致。

そしてそのジャンプにおける後継は設定の類似性からみて明らかに『約束のネバーランド』。

しかし『約束のネバーランド』は当初期待されていたほどのヒットは起こらなかった。

『鬼滅の刃』にはなれなかった。

というのは、裏で社会は「進撃」とは異なった新しい時代を迎える準備を着々と進めていたからだ。

2011年の東日本大震災への対応としてtwitterをはじめとするSNS群が日本中に浸透し始める。

「モノからコトへ」の準備は進んでいた。

作品自体からコミュニケーションへ、という消費環境の変化。

そして2020年、その変化は『鬼滅の刃』という一点から噴出した。

感動と物語をサプリメント化し、「モノ」的価値に完全順応した物語のニュースタンダード。

進撃が死に、鬼滅が残る。

それは、時代の必然であった。

 

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