映画『JOKER』が示す社会
Netflixでやっていたので、トッド・フィリップス監督『JOKER』を観てみた。
とんでもない映画だった。作品の中に引き込まれすぎて、二三日もどってこれなかった。
その影響で階段をなまめかしく体を揺らしながら、足を高く上げながら降りるようになるほどだ。
そして勢い余ってダークナイトも一気見。また二三日戻ってこれなくなる。笑
これらの作品はあまりに、あまりに衝撃的だった。
ここから衝撃を受けた理由と、この作品をより味わうための現在の社会の背景について述べる。
橘玲『上級国民/下級国民』から見える『JOKER』の背景
本作品が衝撃的だった理由の一つは、それが描く社会があまりにもリアルだったからだ。
橘玲氏の著書『上級国民/下級国民』には以下のようなことが書かれている。
世界は「知識社会化、リベラル化、グローバル化」という流れの中で、幸福の総量の拡大(=発展途上国の生活向上)と引き換えに、先進国の中間層が分解され「上級国民/下級国民」に二極化している。
アメリカにおいてはその中間層は主として白人が構成しており、下級国民はプアホワイトと呼ばれている。
彼らは、他の人種と違ってアファーマティブアクションの対象にならないので、自分は無視されている、逆差別を受けているという被害者意識抱きやすい。
そしてそれは感情的な噴き上がりにつながっている。
JOKERでアーサーに共感し、破壊活動にいそしむピエロたちはプアホワイトのリアリティと重なる。
また同様の「上級国民/下級国民」に二極化それ日本でも妥当する。
バブル崩壊から小泉政権の新自由主義政策の下で、正社員の雇用が破壊されたと考えられているがデータから見ると、全年齢的な平均割合はさほど変わっていない。
1982年に46%だったものが、多少の増減を経て2007年には46%戻っている。
正規雇用の破壊というストーリが当てはまるのは、20代の若者で、1982年75%から2007年には62%まで下落している。
これは日本の労働組合は正社員の既得権益保護組織なので、市場が縮小する中では「社員を増やせば自分たちの取り分が減る!」と雇用を増やそうという発想につながらず、身軽になりたい経営者と一致団結したからだと言われている。
それはさながら身分制で守られた「上級国民」のようだ。
このような背景があるため、『JOKER』は若者をはじめとする日本の「中間層」にも直撃する!
倫理とは何か
もう一つのこの映画に衝撃を受けた理由はJOKERが殺人を犯してどうだったか問われた時の回答。
彼は意外と何でもないと答えた。
倫理的な罪の意識にとらわれてはいないのだ。
むしろ罪を犯すことで倫理や規範の束縛を逃れ、「なんだ今まで縛られていたものはこんなもの」かと自由になる。
非常に示唆的である。
例えば、トランプ現象にみられるようなポリティカルコレクトネスというある種の虚構へのバックラッシュ。
JOKERが何でもないと看破したものが、現実においてもそのもっともらしさに疑問が投げられている。
JOKERの言葉によって、「その現実を直視せよ」と突き付けられたように感じ衝撃をうけた。
と同時に、そんな社会で踊りコケにするJOKERにある種のあこがれを感じた。
解放…!
この限界のきた社会で、私たちは踊るしかないのかもしれない。
檻のなかのダンス
下級国民よ!JOKERよ!
現状を正しく認識しろ!怒れ!そして、理不尽な社会をバカにするかのように踊るんだ!
檻のなかのダンス!それしかない!