なぜ人は「推し」を作るのか|推し活の意味とメリット

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2020年、『推し、燃ゆ』が第164回芥川賞を受賞した。

宇佐見りん『推し、燃ゆ』河出書房新社、2020年。

『推し、燃ゆ』の勢いはそれにとどまらず、2021年には本屋大賞候補にランクインし、累計発行部数は50万部を突破している。

このことは「推し」という言葉・行為が、広く社会一般に広がることを後押しし、また逆に「推し」という言葉・行為がどれだけ市民権を得ているかを示しているように思う。

実際にソフトウェア開発会社「ジャストシステム」の調査では10代の4割近く、20代の3割近くが推し活をしているという結果が出た。
(参考:ジャストシステム「推し活と、消費に関する実態調査」

さらには、推し活は単に広がっているだけではなく、大きな消費行動を伴って行われており、経済的にも無視はできない現象だ。

『鬼滅の刃』の劇場版の躍進も、「煉獄を400億の男にしたい」という推し活にかけるファンの熱量が大きな原動力になった。
(参考:oricon news「映画『鬼滅の刃』興収400億円突破でファン歓喜 煉獄さんが“400億の男”から“日本の顔”に」

そこで、この記事では推し活がどういったものなのか理解を深めるために、推し活の内容やメリットについて考えたい。

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「推し」の起源

「推し」という言葉に類似する言葉は、広く使われる一般的なものだ。

例えば、「推す」という言葉の意味は『大辞泉』には以下のように記載されている。

人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。

また「一押し/一推し」の意味は以下の述べられている。

最も推奨すること。一番のお勧め。

しかし、今回取り上げる「推し」という名詞での用法は歴史の浅いものだ。

一説によると「一推しのメンバー」が略され「推しメン」になり、それがさらに略され「推し」になったと言われている。

また、この言葉の用法はアイドルファンの間では昔から使われてきたが、広く一般に認知されるようになったのは『AKB48』の台頭がきっかけと考えられている。
(参考:noman「推し」

実際にAKBが活躍する2010年代とgoogleでの検索数が伸びている時期は一致する。
(参考:googleトレンド「推し」)

現在では、アイドルにとどまらず、漫画のキャラクターや現実人物など応援の対象に対して広く使われている。

「推し」からえられるもの

では、その推し活をしている人たちは推しから何を得ているのだろうか。

この章では推し活のメリットについて分析したい。

①崇高な生きがい

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「生きがい」が見つけづらい現代

現代という時代は自分の生きがいを見つけることが非常に難しい時代である。

昔であればもっともらしい「生きがい」は社会が用意してくれていた。

具体的には、主として中世であれば神様が、近代であれば国家が、戦後から20世紀までにかけてであれば会社-仕事-家庭の合わせ技がその生きがいの供給源になっていた。

しかし、社会が不安定になり、どうやら会社がずっと自分たちを支えてくれることがなさそうだという感覚や、給料が昔のように年齢とともに上昇することはなさそうだという感覚が広がると、会社は忠誠を誓うに値するものではなくなった。

会社で活躍することに対して、誰もが「立派だね!すごいね!」と言ってくれることはなくなった。

会社に貢献し、会社というコミュニティから承認されることがイコール喜びではなくなった。

その結果、人々は個人で「生きがい」を見つけなければならなくなった。

「モーレツ」が死語になり、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が社会の標語になったのもその表れの一つである。

その時代において「推し」は一つの大きな「生きがい」の供給源なのだ。

見返りがないことが魅力になる

では、なぜ他の趣味ではなく「推し」がこれほど人を魅了するのであろうか。

その一つの理由は、推し活が「ピュア」なものに感じられるということだ。

「推す」という行為は基本的に、「見返りを求めない行為」である。

純粋に「この人を応援したい」という100%善意によって構成されている。

なぜなら、アイドルや漫画のキャラクターは、仮に推していたとしても自分の物にはならないからだ。

このように言うと以下のような疑問を抱く人もいるかもしれない。

おかしいだろ!見返りのないことが人を引き付けるなんて!馬鹿げてる!手に入らないものに金を使ってどうすんの!

確かに、その疑問はもっともだ。

人の行動のほとんどは見返りを見越しての行動だ。

会社で働くのは「給与」というリターンを得るためだし、娯楽のために出費をするのは自分が楽しむためだ。

その行動原理に照らしてみれば「見返りのない=魅力」というのは理解が難しいかもしれない。

崇高さを帯びた生きがい

しかし本当は、この発想は逆なのだ。

世の中のほとんどが「見返り=損得」で動いているからこそ、希少な「見返りのない行為」が崇高で、かけがえのないものとして立ち現れるのだ。

たとえば、マンガや映画の物語で正義を貫く主人公がいて、それに激しく感動したとしよう。

そしてあなたはこう思う。

「私も明日からかく生きたい」

しかし、現実はそうもいかない。

たとえば、会社で正義を発揮して、「悪」の上司や組織にかみつくことは必ずしも「物語のような感動の結末」をプレゼントしてくれるとは限らない。

そこであなたは、折り合いをつけて生きていくことを選ぶ。

「本当はああすることが正義だと思うけど、うまく生きていくためにこうせざるを得ない」

そして、こう心に刻む。

「現実では、やはり、100%の善や正義は存在しないんだ」

善や正義という価値観にひかれるまじめな人であればあるほど、正しさに従って生きられない現実の自分を汚れたものに感じ、自己嫌悪に陥る。

一方、「推し活」は見返りのない100%の善意だ。

清濁が入り混じる社会には本来存在しないはずの「ピュア」な行為だ。

あなたはその活動に準じているときだけ自分を「ピュア」で、浄化されているように感じる。

崇高なことをしているように感じる。

『推し、燃ゆ』ではその浄化の感覚を、「よけいな血肉をそぎ落として背骨だけになる」といった比喩で見事に表現している。

この「崇高さを帯びた生きがい」は他の趣味では感じることができない唯一無二のものなのである。

 

※参考:
濱野智史『前田敦子はキリストを超えた』筑摩書房、2012年。
宮台真司『終わりなき日常を生きろ』筑摩書房、1998年。

②「自分の物語」型の娯楽

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「推し活」の二つ目のメリットは「自分の物語」型の娯楽を楽しめるということだ。

批評化の宇野常寛氏は現代の娯楽を「自分の物語」と「他人の物語」の二つに分類する。

宇野常寛『遅いインターネット』幻冬舎、2020年。

映画やテレビと言った一方的に他人が主人公の物語を消費する形式の娯楽は「他人の物語」だ。

逆に、SNSでイケてる自分を発信するといった自分主人公の娯楽は「自分の物語」だ。

人はだれでも「自分が主人公になりたい」という欲望を抱えている。

従来の「他人の物語」はこの欲望に応えてくれないかった。

しかし、「自分の物語」はその欲望に十分に応えてくれる。

そのため、「自分の物語」型の娯楽は「他人の物語」にはない強烈な快楽を与えてくれる。

そして、「推し活」はスマートに、そして簡易に「自分の物語」を提供してくれる。

例えば、CDを買って推しのアイドルをグループの中で一番にしたり、煉獄さんを400億の男にしたり、好きなキャラクターの絵を描いてSNSで発信するという行為は、自分が推しの夢を実現するという物語に参加し、ともに作り上げ貢献しているという感覚を与える。

さらに、松坂桃李主演の映画『あの頃。』が描くように、共通の推しを支える「仲間」がいればさらにその高揚感は増加する。

「推し活」が与える「自分の物語」は唯一無二の娯楽なのだ。

③自分を知ることができる

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推し活のメリットの三つ目は「自分を知ることができる」ことだ。

例えば、AKB48というグループを考えてみよう。

そこには名前を覚えきれないほどのアイドルが所属している。

どのアイドルも厳しい選考とレッスンを潜り抜けているだけあって魅力的だ。

どの子を推すのか無限の選択肢がある。

しかし悲劇的なことに、消費者の時間と経済は有限だ。

消費者は誰を推すのか選ぶ必要がある。

その選ぶという行為を通じて、逆に自分自身が浮かび上がってくる。

「自分は人のどこに魅力を感じるのか」「どんな人を応援したくなるのか」、選ぶ際には必然的にそういった質問を自分自身に投げかけることになる。

また、推しが路線やキャラを変更するごとに「それでも私は推しを応援できるのか」と反復的に自分自身を見つめ直すことになる。

このよう、推すということは自分を知ることなのだ。

「個性」という言葉が一種の強迫観念のように付きまとい、「お前は何者なのか」という問いを絶えず突き付けてくる社会において、自分の輪郭をはっきりと感じられることは、この上なく頼もしいことなのだ。

推し活こそが最強のソリューションであり、自己啓発なのだ。

経済と社会も推しを求めている

なお、推しを求めているのは一部の「オタク」だけではない。

経済と社会も推しを求めているのだ。

ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』によると、現在の社会はモノが飽和している状態だ。

安い値段で驚くほど高機能なものを買うことが出来る。

もはや「高機能」であるということは市場における差別化の要因にはならない。

そうなると、差別化する要因になるのは「人」になる。

「どうせ同じものを買うのであれば、この人から買いたい!」

このように思われる必要がある。

そのことをまさに体現しているのが、インフルエンサーだ。

自分がフォローしているインフルエンサーがおすすめしている商品をつい買ってしまった経験は身に覚えがあるのではないか。

この感覚はまさに「推し」と同種のものだ。

他にも、クラウドファンディングやオンラインサロン、noteやブロマガなどのクリエイターエコノミーなど「推し」と同型の経済システムはいくらでも見つけることが出来る。

このように、一部の「オタク」が推しを求めているだけではなく、すでに社会は「推し」を前提として回っているのである。

「推し」という現象を知らずして、現代社会を生きていくことは、もはや、できない。


 

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