
資本主義社会って限界があるの?今後どんな社会になっていくの?
本記事では主に見田宗介氏の『現代社会の理論』を参照しながら、資本主義社会における限界と今後の社会の方向性について解説します。
見田宗介『現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来』岩波書店、1996年。
この記事を読むことで
資本主義社会の限界:なぜ恐慌が起こるのか
資本主義とは!?
資本主義とは資本家が事業を行いたい人に対してお金を出資し、その見返りとして出資した以上のリターンを得る仕組みです。
例えば株では資本家が企業の発行する株式を買い、そのリターンとして配当金を受け取ります。
出資を受けた側は将来受け取った以上のお金を返さなければならなくなるため、利益を出して成長し続ける必要があります。
つまり、資本主義において生産力は無限の拡大が前提とされているのです。
資本主義社会の限界:需要は有限である
しかし、企業とその生産活動が拡大するからと言って必ずしも利益が増えるとは限りません。
限界があります。
というのは、生産活動に対して、消費者の需要は有限だからです。
例えば、冷蔵庫を購入したとします。
しかし、お店ではまだまだ売られています。お店からなくなるまで(生産されたものすべて)冷蔵庫を買い続けるでしょうか。
そんなことはありません。冷蔵庫が消耗し、故障などで新しいものが必要にならない限りは買わないはずです。
このようにまず需要には「必要」という限界があるのです。
無限の生産の拡大と有限の需要という矛盾
資本主義社会はその特性上、無限の生産の拡大と有限の需要という矛盾をはらんでいます。
この矛盾はいずれ破たんし、拡大しすぎた生産をリセットしようとするのです。
その結果、労働者のリストラや企業の倒産、最悪の場合には社会全体を巻き込んだ恐慌が発生します。
資本主義社会において恐慌が発生するのは、資本主義の構造上必然的に矛盾を抱え込まなければならないからです。
資本主義社会の限界と矛盾にどう対処してきたのか
資本主義社会における限界への対処:軍需
需要に対して生産が過度に膨らみ、限界ぎりぎりに達した時の伝統的な対処法が軍需です。
戦争を起こすと様々な物資が必要となります。大きな需要が生まれるのです。
戦後の日本経済の復活に大きな役割を果たしたのが朝鮮戦争だったことは有名かと思います。
資本主義社会における限界への対処:管理化
軍需に代わる不況対策としては「政府の介入」が挙げられます。
様々な公共事業と金利政策等の投資需要の刺激で需要を生み出します。
例えば1960年代のケネディ、ジョンソンの民主党政権下では、連邦政府財政の規模はそれまでの二倍以上に拡大しました。
資本主義社会における限界への対処:無限の欲望
管理された資本主義に対して、より市場にゆだねる形で解決を目指す方向性があります。
人々の欲望を開放することで有限だった需要を無限にするのです。
具体的にはモード・流行りというものを生み出すのです。
従来、ものは一度生み出せばそれが消耗されるまで使用されました。
しかし、モードの誕生により、まだ使えるのに買い替えるということが起こりました。
例えば、今着ている服が限界になるまで新しい服を買わないという人は少ないのではないでしょうか。
季節や、最新モデル、系統の違うものなど様々な理由でまだ使えるものがあるにもかかわらず購入します。
このように無限に欲望を喚起し続けることで資本主義の限界を乗り越えようとする姿勢が、現在の経済界の基本的な姿勢となります。
現在の社会で資本主義がぶつかっている限界と今後
現在の資本主義の限界:資源的な制約
無限の欲望によって資本主義社会がは自らの矛盾を克服したかのように見えましたが、その先で新たな壁にぶつかりました。
無限に拡大する生産に合わせて、欲望を無限に生み出したとしても、全ての欲望を満たせるわけではありません。
地球が有限の空間である以上、資源的な限界があったからです。
例えば、電気を無限に使おうとしても、石油などの燃料という限界があります。
さらには、発電するために石油を燃やすことで環境がダメージを追いますが、地球が吸収できるダメージにも限界があります。
地球環境も一つの資源であり、有限です。
限界の克服のために現在資本主義が目指しているもの
資源が有限であることに対処するため、現在では二つの方向性が目指されています。
一つ目はさらなる資源を追い求める方向性。
シェールガス採掘の技術の向上や宇宙開発などがこれにあたります。
二つ目が限られた資源の枠に収まるように欲望のありかたを変えること。
消費のあり方は自由であり、必ずしも何らかの資源を必要としているわけではありません。
IT業界などは元手となる資源がほとんど必要なく、多くの消費者にサービスを提供することができます。
昨今よく耳にする「モノ消費からコト消費へ」や「シェアリングエコノミー」、「ESG投資」などは大きな視点に立てばこの流れの中に位置づけることができます。
資本主義の終焉とオルタナティブの可能性
ここまで述べた現在の資本主義の課題を要約するならば、「無限の欲望をいかに生み出していくか、そしてそれに釣り合う供給をいかに用意していくか」と言えるでしょう。
これは換言すれば「イノベーションをどうやって実現し続けるか」ということになります。
では最後に、2020年になって世界を襲ったコロナが急浮上させた「イノベーションし続ける資本主義路線」とは別の未来の可能性に言及しましょう。
コロナは現在の資本主義の「イノベーション」に素朴な疑問を突き付けました。
それは「あれ!?イノベーションで生まれたものってほとんど不要不急じゃね?」という疑問です。
つまり、イノベーションと言われていたもののほとんどは、実は、元々不要だった「ぜいたく品」を「必要品」と錯覚させたものに過ぎなかったということが、コロナで広く認識されることになりました。
では、「必需品」の方はどうかというと、近代資本主義の市場メカニズムではコロナ下でも満足にマスクも防護服も生産ができないということが明らかになってしまいました。
このことから、小幡績『アフターバブル 近代資本主義は延命できるか』では下記のような未来の可能性を指摘されています。
小幡績『アフターバブル 近代資本主義は延命できるか』東洋経済新報社、2020年。
ぜいたく品は一旦売れなくなったら誰も買わない。
自分でも使うものだけがつくられ、じぶんで使わなかった部分はおすそ分けを仲間にする。少しは外部に売る。自分でも必要な必需品がつくられ、交換され、売買される世の中になっている。
必需品の循環経済、その中で、必需品が少しずつ進歩していく、技術進歩が起きていく、そういう世界となるだろう。
まとめ
・歴史を通して様々な形でそれらの問題の克服が目指されてきたが、一つ乗り越えるたびに新しい壁にぶつかってきた。
・現在は資本主義は無限のイノベーションと資源の限界という壁にぶつかっている。
・実はイノベーションは不要不急?資本主義のオルタナティブはありえるのか?