【感想】恋愛と結婚は必要ない!?~山内マリコ『パリ行ったことないの』

paris 本・書評
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※ネタバレ注意

山内マリコ『パリ行ったことないの』を読んだので、その感想を述べたいと思います。

また、本作から感じたことを通して「恋愛」や「結婚」との距離感を今一度考えてみます。

山内マリコ『パリ行ったことないの』集英社文庫、2017年。

『パリ行ったことないの』には、日常に息苦しさを感じる10人の女性が、パリを共通項として展開する個々の短編(?)エピソードがまとめています。

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【感想】恋愛と結婚は必要ない!?~山内マリコ『パリ行ったことないの』

「恋愛的」なものに「ハマれる女性」と「ハマれない女性」

山内マリコ『パリ行ったことないの』には「恋愛的」なものに「ハマれる女性」と「ハマれない女性」というモチーフがよく出てきます。

「夢見られる女性」と「夢を見きれない女性」と言い換えてもいいかもしれません。

たとえば、大学生のさほのエピソード。

さほは親友のアミとパリに旅行・移住と言う妄想で盛り上がる。

そして実際に、パリ行きを実行に移すため、ガールズバーで働き始める。

二人で順調にお金を貯め、妄想は計画になるかと思いきや、思わぬことではしごが外されてしまうことになる。

親友のアミがガールズバーのお客であったお笑い芸人に惚れ込み、さほの前から姿を消してしまう。

東京で育ったさほは芸能界への憧れに盲目的になれず、「夢を見ることができる」ことができるさほに驚きを感じる。

理想と現実の二重性の象徴としてのパリ

ここに、「夢見られる女性」と現実を知ったが故に「夢を見きれない女性」の対比が現れているように思います。

そして、この構造は「夢」見る対象を変えて、『パリ行ったことないの』のあらゆるエピソードで反復されています。

その「夢」の対象は例えば、恋であったり、結婚生活であったり、そして本作のこの対比構造の象徴であるパリであったり

しかし、「夢を見きれない女性」たちもとことん冷め切っている訳ではないので、恋愛や結婚生活を「くだらない」と割り切ってしまうことができません。

結婚に憧れた幼少時代の「過去の記憶」や結婚を称揚するドラマなどの「物語」、時には結婚を当然視する親や同僚という「世間」が強迫観念として、彼女たちを恋愛や結婚生活という物語につなぎ止めてしまいます。

いっそのこと完全に切り捨てることができたら楽なのに…

「夢」のしがらみから解放されたように見える女性も登場しますが、あきらめきった人生に対して退屈を感じています。

得られるものが少ない、取るに足らないものと知りつつ、「夢」に対する想いを捨てさることができず、あこがれを残しているところに彼女たちの苦悩があります。

彼女たちを本当に縛りつけているのは、自分の内側に宿ったまなざしなのです。

しかし、それは必ずしも悪いということではありません。

捨て去ることができず辛い、しかし、それがあることで日常が彩られるということもあるからです。

今の退屈な日常の出口が、どこかにあるんじゃないかという希望が日常を生きる活力にもなります。

この感覚は、男である私も対象は違いますが切実に感じているものなので、非常に深く心に突き刺さりました。

私の場合だったらそれが「人生の意味」とか「仕事の意義」のように、より観念的なものになります。

「人生の意味」をマジガチに信じられるほどピュアではない、しかし、それを忘れ去ることは感情的にできないし、それを忘れた生活は退屈である、のように。

このような構造の象徴としてパリは、なるほど、非常に最適だと思いました。

パリは外国人に対して「夢と芸術のあこがれの街」として映る。

実際に、『パリ行ったことないの』のおよその登場人物たちも、パリをそのような街としてとらています。

だから、上記の葛藤を生み出す「恋・結婚生活」への想いの矛先をパリにスライドさせ、どうしようもなくとらわれていた「恋・結婚生活」のしがらみから解放されようとする主人公たちの試みが可能になります。

しかし、パリには「夢と芸術のあこがれの街」以外のもう一つの側面があります。

それはゴミなどが捨てられていて非常に汚く、スリなどが活動する生活感のある街と言う側面です。
(日本人の旅行客はこのギャップに大きなショックを受けるようですね。パリ症候群ともいうらしいです。この主題はウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』でも描かれていて面白いです。)

パリという街のこの夢と現実の二重性が、実によく「夢見られる女性」と「夢を見きれない女性」という『パリ行ったことないの』の対比構造を象徴しています。

ロマンティシズムとリアリズム

このように考えると『パリ行ったことないの』の結末は、筆者の性格をよく反映しているように感じてクスリとしてしまいました。

各エピソードにおいて女性たちはトラブルなどの紆余曲折を経て、それでもなおパリを目指します。

ここに「夢」に冷めつつも捨て去ることができないと言う筆者のロマンティシズムがあります。

しかし、さらに面白いのは、パリを目指したはずの各登場人物が南仏のツアーで全員集合すると言うところです。

単純にパリにみんな集まって大団円という終わりはとりません。

パリを理想として成就させないし、かといってパリの現実を突きつけて失望させもしないのです。

ここに筆者の絶妙なバランス感覚の現実主義があります。

それは「夢」マジガチに信じられないと言う現実主義でもありますし、パリは「夢」として残しておいて、「夢」見ることで日常を輝かせるツールとして使おうという戦略的な現実主義でもあります。

ご都合主義のすっきり爽快という感覚によって読者に刹那的な解放を与えるのではなく、煮え切らない日常をいかに生きるかという現実の感覚に根ざした形で読者に力を宿らせる、『パリ行ったことないの』は非常に力強い作品だと思います。

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