ショーペンハウアー『誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。』な時代

Worry 学習方法
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「誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる」

19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉だ。

最近ではドラマ化もされた雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』で取り上げられた言葉としても話題になった。

雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』集英社、2017年。

このショーペンハウアーの名言を見てどのように感じるだろうか。

「なるほど~、確かに」と納得する人もいるかもしれない。

「そんなんちゃうわ!ワイは客観や!」と憤る人もいるかもしれない。

ただ一つ、共通して言えることがある。

それは、漫然と生きていれば誰であっても、より自分の視野の限界を世界の限界だと思い込んでしまいやすくなる社会に向かっているということだ。

これは一体どういうことか、またどうすれば、その視野の牢獄を打破することができるのか、考えていきたい。

■ショーペンハウアー
19世紀前半に活躍したドイツの哲学者。
理性で表現しきれない非合理な生の力を強調する「生の哲学」の先駆者。
人間は欲望が満たされなければ不安だし、満たされれば退屈になるので幸せにはなれないという「ペシミズム」が特徴。
仏教思想を自らの理論に取り入れ、ニーチェに多大な影響を与える。
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ショーペンハウアー『誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。』な時代

若者ってだれ?

本題に入る前に、ちょっとした質問をしてみたい。

「鬼滅の刃ってめちゃくちゃ面白いよね」

「最近の若者では米津玄師とかはやってるんだよね」

「最近の若者はナイトプールとかいくんだよね」

これにどのような反応をしただろうか。

ナイトプールの質問は極端にしたので、同意した人はあまり多くないかもしれないが、上二つはどうだろうか。

一応世間的に認知度が高いといわれるものである。

それでも、自信をもってYESと答えられる人は少ないのではないだろうか。

おそらく、YESと答えるのに違和感を覚える人の頭に広がっているのは、学校の教室の風景だろう。

2人~4人程度の仲良しグループが、それぞれバラバラに会話している姿。

それぞれのグループは視界にも入らない。

このような状況で違うグループの人と趣味の会話をするとなった場合、お互いに話は通じるだろうか。

おそらく難しいと感じるのではないだろうか。

「あのですね、LISAがですね…」

「あのさー、あいみょんが…」

「「…」」

社会の複雑化と島宇宙化

昔は今とは状況が違った。

個人差はあるものの、「若者はロック」、「若者はマルクス」、「若者は松田聖子」、「若者はクラブ」、「若者は渋谷」と言う言説により合意しやすかった。

その世代の共通の空気感や文化があり、社会の全体像が見渡しやすかった。

しかし、それは社会が成熟するまでの話。

ひとたび国民が経済的におよそ豊かになり、モノの不足がある程度解消された後、人々は個人個人の価値観に基づいて、自分の求めるコトを追求し始める。

社会や文化、価値観が分岐し、めちゃくちゃ複雑になる。

仕事に全力を注ぐ人もいれば趣味に全力を注ぐ人もいる、車を好きな人がいればアニメが好きな人もいる、ローカルがいい人がいればグローバル志向の人もいる。

そうなると、個々人の文化や趣味、ライフスタイルが他の趣味に属する人からは分からなくなる。

これに拍車をかけたのが、1995年のWindows 95をはじめとして一気に弾みがついたインターネットの普及である。

インターネットではそもそも自分の興味のあるものしか検索しない。

政治に興味無い人が、「自民党 マニュフェスト」と検索するだろうか。

さらに検索結果も、「予測検索」「レコメンド」などの機能で明らかなように、その人の過去の履歴を参照して好みそうなものが表示される。

これはtwitterやinstagram等のSNSも同じである。

どんどんどんどん自分が好きなモノだけが表示されるようになる。

そうするとますます、自分の興味関心がある世界に閉じ込められるようになる。

自分の世界からは別の世界が不透明で、全く見えなくなる。

何も意識していなければ、自分の世界はどんどん狭くなっていく。

最終的には、外に対して全く興味関心を抱かなくなる。

社会学ではこのことを「島宇宙化」と表現したりもする。

個々人の文化や世界観、趣味が細分化されていると言うことは、平成になってミリオンヒットしたCDがどんどん減っていることや、昨今のマーケティングの困難さが象徴している。

自分の関心があるものしか見えない世界は、消費者にとって非常に便利で快適な反面、違うカルチャーの人とのコミュニケーションができなくなったり、分野を超えた創造ができづらくなったり、社会のノイズに対する免疫がなくなったりというマイナスな面も引き起こしている。

「うぇ~、なんであんなのが好きなの!? 変わってる…」と他人を見ている人が、実は他人から同じような視線を向けられているかもしれない。

こんな時代にこそまさにショーペンハウアーの「誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる」をはじめとする含蓄のある言葉を思い返すことは何か状況を打開するヒントになるかもしれない。

アルトゥール・ショーペンハウアー, 金森誠也『心に突き刺さるショーペンハウアーの言葉 人生、孤独、悩み、恋愛ほか』PHP研究所、2008年。

島宇宙化した社会を渡り歩く旅と弱いつながり

また別の方向からこの分断を乗り超えるために何ができるのか考えてみたい。

たとえば、評論家の東浩紀氏は、「旅」に希望を見いだす。

東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』幻冬舎、2016年。

人間は環境の動物である。

人は住む場所、付き合う人などによって大きく影響を受ける。

たとえば、自分の友人が「太っている」人ばかりだったらどうだろうか。

その人にとってそれが「普通」の体型になる。

そうなると今より痩せようという動機は生じにくくなり、結果太る。

だから、「旅」である。

旅をすれば、見るもの、触れるものが普段とは全く違う。

街の名前、現地の料理名、現地のニュースなど、スマホで日本語を使って検索するするとしても、普段では調べようともしないワードを入力することになる。

外を見る動機付けの壁、検索ワードの壁を打破できるのだ。

旅と聞いてどのように感じただろうか。

「ええー、旅!お金もかかるし、時間もいるし、面倒だし」のように思っただろうか。

しかし、この「旅」は物理的な移動じゃなくても大丈夫だ。

要は普段で会わない新しいものに出会える環境に身を置けばいいのだ。

たとえば、普段家族、友人、会社の人としか合わないのであれば、一つ趣味のコミュニティに参加してみる。

有名な話だが、社会学者のマーク・グラノヴェッターの研究によると「満足度の高い仕事上の情報」は「弱いつながり」からもたらされるという。

「弱いつながり」というのは、家族・友人・会社の同僚といった「強いつながり」と比べて、「知り合いの知り合い」などの相対的に薄い人間関係のことだ。

なぜそうなるのかというと、「強いつながり」の人間は同じコミュニティに属している分、同じような情報を得ている可能性が高くなる。

とすると、その情報は自分の転機をもたらすような情報である可能性は低くなる、ということだ。

まとめ

・今の時代はインターネットやSNSなどの環境もあり、自分の視野の外に飛び出すきっかけがどんどん少なくなっている。
・だから、そうするためには自分で意識的に、新しい環境を求めなければいけない。
・その手段として「旅」や「弱いつながり」が有効である。

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