かなり遅れた情報であるが、先日驚いたことがある。
それはちばあきお氏が1970年代に描いた野球漫画『キャプテン』『プレイボール』の続編が出ているということだ。
続編は『プレイボール2』というタイトルでグランドジャンプで連載され、既に他界されているちばあきお氏に代わり、コージィ城倉氏が書いている。
コージィ城倉, ちばあきお『プレイボール2 1』集英社、2017年。
僕は連載時にリアルタイム読んでいたファンではなく、父の本棚に並ぶ『キャプテン』『プレイボール』にハマった後発のファンだが、それでも幼少のときから数えて何十周読み返したか分からない。
だから続編が出ていると知り、どれだけワクワクしたことか!
あの登場人物たちの物語の続きを見れるとは!
そして実際に読んでみた。
が…。
単体の漫画としてはとても楽しめる。
非常によくできた二次創作だと思う。
今後も楽しく追っていくとも思う。
当時とはこの本が置かれる文脈が異なるので単純に原作との比較で、作品自体の価値を評価することはできないとも思う。
しかし、この続編のコンセプトが「何も足さない、何も引かない」「ちばあきおが生きていたらこう書くだろう」であることから考えると、評価は低くならざるを得ない。
というのは、『キャプテン』『プレイボール』の続編を描くうえで、一番重要と思われる要素が決定的に欠落しているからだ。
表層だけ『キャプテン』『プレイボール』の記号をごちゃごちゃ組み合わせてそれっぽく装っているだけで、『プレイボール2』の深層は原作と全く別物だ。
足しまくっているし、引きまくっている。
『キャプテン』『プレイボール』の本質、つまり『プレイボール2』で欠落しているものとはいったい何なのだろうか。
本稿では『プレイボール2』と『キャプテン』『プレイボール』の比較を通して、『キャプテン』『プレイボール』の面白さの本質を分析し、そのおもしろさを再評価したい。
ではまず、『プレイボール2』を語る前に、『キャプテン』『プレイボール』自体についての分析を進めていきたい。
↓↓↓続編の『プレイボール2』の分析は下のリンクから
【感想・分析】ちばあきお氏の『キャプテン』『プレイボール』がなぜ面白いのか
『キャプテン』『プレイボール』のおもしろさを「努力・不屈の精神」というのでは不十分
『キャプテン』『プレイボール』の本質は「努力・不屈の精神」だ、と言ってしまうのはたやすい。
たしかにそれが一つのテーマではある。
しかし、スポ根漫画のほとんどは「努力・不屈の精神」をテーマとしている。
そして他のスポ根漫画と比較して『キャプテン』『プレイボール』はあまりに薄味だ。
ストーリー展開に必要な要素のみを集めており、簡潔で合理的だ。
個々の登場人物の掘り下げはほとんどなされない。(例外は最初の主人公である谷口タカオ)
無駄をそぎ落としており、記号的と言ってもいいかもしれない。
それにもかかわらず、他のスポ根漫画以上に根強い人気があり、読者を誘引し、他の漫画以上に繰り返し読まれるのは何故なのか。
その疑問に答えるためには、『キャプテン』『プレイボール』の本質は「努力・不屈の精神」だ、と言うのでは不十分である。
「努力・不屈の精神」がいったいどのような描かれ方をしているのかを考えなければ、『キャプテン』『プレイボール』の固有性は見えてこない。
本稿では『キャプテン』『プレイボール』の核心により接近するために、一つメタな視点で分析をしていく。
『キャプテン』『プレイボール』のおもしろさは「偉人伝」的物語構造
『キャプテン』『プレイボール』の本当の核心は何か。
それは、ズバリ「偉人伝」的物語の構造を取るということだ。
第一作である『キャプテン』は、主人公の谷口タカオが野球の名門校青葉学院から、弱小校墨谷二中に転校してくることから始まる。
ただし、谷口タカオは野球エリートではない。
青葉学院とはいっても補欠。それも二軍の…。
事情を知らない墨谷の野球部メンバーは谷口の青葉ユニフォームを見て、過剰な期待を抱いてしまう。
無名校であればのびのびと野球ができると考えていた谷口は非常に息苦しい思いをする羽目になる。
しかし、彼は逃げなかった。
青葉のレギュラーと誤解されているなら、青葉のレギュラー並の実力を身につければいい。
そこから、「努力・不屈の精神」による影の猛特訓が始まる。
神社のシーンは何度読み返しても涙が出る。
そしてついに、努力と実力が認められ、彼は墨谷のキャプテンに選ばれる。
他のメンバーは当初、弱小校の部員らしくモチベーションも意識も低い。
過剰にストイックな谷口に対して何度も抗議を試みる。
しかし、無言で影の努力を積み重ねる谷口の背中を見て、次第に彼の「努力・不屈の精神」に感染していく。
俺たちももっと努力をして、勝利を目指そうと。
後輩で次のキャプテンになる丸井は、その言外のスゴみにあてられて、谷口の狂信者になる。
自身がキャプテンの時は徹底して冷静で合理的なイガラシも、谷口の姿には唯一感動をあらわにするシーンがある。(「これなんだなあ…キャプテンがみんなをひっぱる力は…」)
谷口と違い、丸井・イガラシをはじめとする他のメンバーが過剰に頑張る理由・動機は作中で全く掘り下げられない。
舞台が名門高校なら「そういうモチベーションの高いやつらが集まる場所だから」で納得できるが、墨谷は公立の弱小校だ。
にもかかわらず、彼らが過剰な努力をしている姿に読者は違和感を覚えない。
それはなぜか。
それは読者が、谷口の「努力・不屈の精神」がカリスマによって周囲に伝染しているということを、背景として認識しているからだ。
さらに言えば、読者自身が谷口のカリスマに感染しているからだ。
スゴイやつに憧れ、影響されて、人が変わっていく。
そう、『キャプテン』『プレイボール』は、えも言われぬ圧倒的カリスマ(すごみ)を持った谷口タカオの精神性「努力・不屈の精神」に周囲が感染し、「墨谷魂」という時代精神・アイデンティティ・文化が形成され、受け継がれて歴史となる「偉人伝」なのだ。
それは、さながらイエスのカリスマに感染した十二使徒が、彼の精神を受け継ぎキリスト教を作ったかの如く。
それは、さながらナポレオンのカリスマが、傭兵が主流だった時代に国に命を懸ける国民軍を可能にし、近代国民国家の礎となったが如く。
それは、さながら織田信長のカリスマが、中世的なメンタリティの農民兵に近代軍のようなふるまいを可能にしたかの如く。
それは、さながら藤田田氏のカリスマに孫氏が感染したかの如く。
『キャプテン』『プレイボール』は明らかにそれらの「偉人伝」の類型だ。
谷口の穏やかな性格のために「カリスマ」や「偉人」という言葉に違和感を覚えるかもしれない。
しかし、「カリスマ」でしか説明がつかないような場面がいくつも存在する。
例えば、谷口が墨谷二中でキャプテンをやっていた時代、元々いたレギュラーは誰もしごきに音を上げてやめることなく、一人残らず一流のプレイヤーになったという事実。
この点は丸井やイガラシとは明らかに違う。
彼らは墨谷の実績にひかれて大量に入部した部員に厳しい特訓をおこない、ふるいにかけ、それでも残ったメンバーでレギュラーにした。
大きな母数の中から確率的に厳しい特訓に耐えうるメンバーを抽出したのだ。
つまり試練に耐え、彼らについて行ったのはXX分の1なのだ。
それに対して、谷口は1分の1をそのカリスマによって一流の戦士に変化させた。
カリスマ性、人間力、人を導く力が桁違いなのだ。
またこんな事例もある。
『キャプテン』3代目のキャプテンであるイガラシはあれだけの時間を野球部の練習に費やしているにもかかわらず、校内10位に入る秀才だ。
さらには中学野球の全国大会でチーム優勝を優勝に導いたキャプテンなのだ。
つまり、進学校に入ることもできたし、野球部の名門高校に入ることもできた。
にもかかわらず入学したのは、お世辞にも頭がよさそうとは言えず、野球部も弱小の墨谷高校。
これが人情気質の丸井なら違和感はない。
しかし、この行動を起こしたのが、常に冷静で合理的、頭が良くてリアリストのイガラシなのだ。
何故なのか。
答えは一つしかないだろう。
ちばあきお氏の『キャプテン』『プレイボール』がなぜ面白いのか
以上のように、『キャプテン』『プレイボール』は「努力・不屈の精神」を谷口タカオの個人的カリスマによって伝承し、「墨谷魂」という文化・アイデンティティ・歴史を築き上げる「偉人伝」なのだ。
深層に「偉人伝」「谷口のカリスマ」、中層に「努力・不屈の精神」、表層に「各登場人物や設定」がある。
このような構造によって、読者は谷口のカリスマに感染にすることができ、臨場感をもって物語の中に取り込まれることになる。
いわば「墨谷魂」という歴史の一部になるのだ。
そのため、比較的冗長に感じる丸井時代以降の『キャプテン』も、『プレイボール』も、つい読んでしまう。
薄味のストーリーにもかかわらず、非常に濃厚に感じる。
キャラを掘り下げていないにも関わらず、キャラが生き生きして見える。
それは「偉人伝」という深層海流が、補って余りある「意味」として登場人物やストーリーに流れ込んでいるからなのだ。
むしろ余計な登場人物の深掘りやストーリ展開をそぎ落とされていることで、読者は直にその海流を触れることができ、墨谷ナインや物語の全てを谷口の精神が貫いていることを感じる。
この果てしないもの、ありそうもないものを見ている感覚。
これが、『キャプテン』『プレイボール』の魅力の、他の作品にはない固有性だ。
これに対して『プレイボール2』はどうか。
『プレイボール2』の分析については次の投稿に続く…
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