考える葦(かんがえるあし)|パスカル『パンセ』の名言7選

philosopher 思想・哲学
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考える葦(かんがえるあし)という言葉を聞いたことはありますでしょうか。

正確には以下のような表現です。

人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。しかし、それは考える葦である。

哲学者パスカルの「考えることが人間の偉大さの根源である」という思想を表現するための言葉です。

この言葉のみがしばしば引用されますが、実はパスカルの表現の中にはたくさんの名言が眠っています。

そこでこの記事ではパスカル『パンセ』を参照し、パスカルの名言を紹介したいと思います。

パスカル『パンセ〈1〉』中央公論新社、2001年。 

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パスカルとは

ブレーズ・パスカル

・17世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者、神学者

・物理学の領域で流体の平衡についての理論である「パスカルの原理」を提唱し、圧力の単位「パスカル」になる

・フランスの500フラン紙幣に肖像画される

パスカル『パンセ』の名言7選

人は、全部は見ないということについては腹を立てないが、まちがったとは思いたがらないものである。

人の間違いを指摘するときには、「間違っている」と指摘するのではなく、相手を一度正しいと認めて、相手の言ったことが間違っているといえる別の見方を提示する必要があります。

というのも人は自分の間違いを認めるたがらないからです。

なぜならば、人にとって自分の感覚は(その感覚が存在しているということは)常に「正しい」ことだからです。

想像力は、愚かな人たちを賢者にすることはできないが、彼らを幸福にすることができる。それに反して、理性のほうは、その友人たちをみじめにするだけである。

理性の上に立つ哲学者でありながら、理性の限界に自覚的で謙虚な姿勢を示しています。

マイケル・サンデルのような昨今のリベラルエリート批判に通じる考え方ですね。

今ある快楽が偽りであるという感じと、今ない快楽のむなしさに対する無知とが、定めなさの原因となる。

私たちはいつも何かに駆り立てられるように動いてます。

働き、消費し、働き、消費し、働き…

そうせざるを得ないのは心の奥底に、何かじっとしていられないような、不安な感じがあるからです。

この言葉はその本質を言い当てる至言です。

人間の不幸はすべてただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことに由来するのだということである。

退屈は人を殺す。

あらゆる財と名誉と権力をその手に握る歴史上のあまたの王が戦争や芸術、女性に狂ってきたのはそういうことなのでしょう。

小さなこと対する人間の感じやすさと、大きなことに対する人間の無感覚とは、奇怪な転倒のしるしである。

コーチングで世界的に有名なトニー・ロビンスも「人は1年でできる事を過大評価し、10年でできる事を過小評価しすぎる」ということを言っています。

行動経済学では、人間には目先の利益を優先してしまう「現在性バイアス」があると言われているので、こういった傾向はある程度人間の性に根ざしたものなので仕方ないのかもしれませんが、自覚的では痛いものです。

人間の魂の偉大さは、中間にとどまるのを心得ることである。

私たちはは思わず極端に走ってしまいたくなります。

例えば、twitterでは声高に断定口調で語る「有名人」の言葉ばかりを面白おかしく追ってしまいます。

また、善か悪か、正しいか間違っているか、勝ちか負けか、白黒をつけたくなります。

しかし、複雑な社会においては白黒はっきりさせられることの方が少ないです。

極端に走りたくなる気持ちをぐっとこらえることが求められています。

信仰のない人間は、真の善をも正義をも知ることができないということ。

パスカルは神学者でもあります。

信仰というと理解しづらくなってしまいますが、「間違いないと思える価値観・基準」と言い換えればどうでしょうか。

どの時代もこの「信仰」は形を変えて人々に求められてきました。

 


 

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