橘玲氏の『働き方2.0vs4.0』を読みましたので、その要約と解説を行います。
橘玲『働き方2.0vs4.0』の3つのポイント
・テクノロジーによって働き方・生き方は急速に作り変えられている
・日本のいびつな働き方はいずれ駆逐される
・過酷な変化の波を乗り切ったものには、自由で柔軟な働き方が待っている
橘玲『働き方2.0vs4.0』の著者
・早稲田大学出身
・元宝島社の編集者
・『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などの投資や経済に関するビジネス書、経済小説を多数手がけるベストセラー作家
橘玲『働き方2.0vs4.0』のひとこと要約
テクノロジーの力で世界の生き方・働き方は急速に変化している。
しかし、日本の働き方は相変わらずイエ制度を思わせる「おっさん」の既得権益保護であり、その生活の安定のために「奴隷労働」を受け入れるいびつな制度のままである。
グローバル化が避けられず、グローバルな競争相手と競わなければならない以上、不合理な日本型の働き方はいずれ崩壊する。
その時に待ち受けているのは、高度なスキルを持った一部の人間が高所得で、テクノロジーによって没落した旧中流層を含む大多数の人間は低所得になるという過酷な競争社会だ。
全く救いがなく馬鹿げた話ではあるが、今後グローバル化・IT化の波に負けず現在の生活を維持したけれれば、生涯学習し続けるしかない。
それができるものにはFIREやBOBOSといった、自由で柔軟な働き方が待っている。
橘玲『働き方2.0vs4.0』のじっくり解説
テクノロジーによって働き方・生き方は急速に作り変えられている
働き方1.0~5.0の定義
橘玲氏は著書の中で働き方の変化の流れを以下のように定義しています。
働き方2.0 成果主義に基づいたグローバルスタンダード
働き方3.0 プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するシリコンバレー型
働き方4.0 フリーエージェント(ギグエコノミー)
働き方5.0 機会がすべての仕事を行うユートピア/ディストピア
日本は現在「働き方改革」によって1.0から2.0に変えようとしているところです。
しかし、世界の最先端の働き方は3.0から4.0にかけてです。
グローバル化で日本の企業も世界市場と同じ環境の中で動かざるを得なくなっている現代において、日本だけが前時代的な働き方を維持していることは様々な不利益を引き起こしています。
この前提を踏まえて以降の文章は読み進めてください。
テクノロジーによる社会の変化
生き方と働き方は急速に変化しています。
その一つの指標がアメリカの企業(S&P)の平均寿命です。
1960年には約60年だったのが、現在では20年以下となっています。
働く場である会社が変化すれば当然働き方も変わっていきます。
その変化を引き起こしているのがテクノロジーです。
これによって、ギグワークやスマートコントラクトなどの新しい働き方の可能性が広がってきています。
プラットフォームの力を使い、組織に所属せずに短期の仕事を受注するフリーエージェント
ブロックチェーンを使った書き換え不可能な契約。顧客と労働者の仲介になるもの(会社や仲介業者)が不要になる。
しかし一方で、そのテクノロジーのもたらす変化の速度は人間が適応できる速度をいよいよ超え始めました。
googleの研究開発機関のCEOエリック・テラーは以下のように表現しています。
人間には新しい環境に適応する能力があるものの、それは一次関数的にしか向上しません
リベラル化がもたらす自己責任
このように多くの人が変化からこぼれ落ちる時代でありながら、社会は弱者に対する救済を用意していません。
というのは、社会はリベラル化しているからです。
これは一見すると矛盾しているように感じます。
自由と平等を尊重するリベラルな考え方が社会に広がるのであれば、弱者は救済されるようになるのではというのが普通の発想でしょう。
しかし、現実はそうなっていません。
自由と平等が実現されたということは、ある個人が失敗した時、何が原因でしょうか。
原理主義的なリベラルは生まれながらの知能の差を認めません。
であれば、「やる気の差」「努力が足りない」というところに失敗の原因が求められます。
「やる気がないのであれば、失敗しても自分の責任」こうなるわけです。
福祉が手厚いことで知られる北欧社会も強烈な自己責任社会で、失業したらすぐに再労働化させるための制度が整備されています。
このことを詳細に分析しているのが橘玲氏の『無理ゲー社会』です。
日本のいびつな働き方はいずれ駆逐される
日本の働き方は非常にいびつなものです。
既得権益に有利なことばかりを行う制度の下で人々は働いています。
そして、既得権益があまりに有利であるために、一度既得権益の甘い蜜を吸えば、上の靴をなめてでも既得権益にしがみつこうとします。
その結果、既得権益の中の人も外の人も不幸になってしまっています。
では、その既得権益とは具体的には何なのでしょうか。
端的にいえば「おっさん」です。
だれが「おっさん」に含まれるのかを以下では見ていきます。
正社員と非正規雇用
「おっさん」として守ってもらえる第一の条件は「正社員」であることです。
正社員の雇用を守るために、会社の業績に合わせて自由に切れる、非正規雇用が雇われます。
正社員と非正規で「同一労働同一賃金」が完全に無視されています。
給与や各種手当で大きな格差があります。
労働組合も自分たちの村の仲間は「正社員」なので、非正規の劣悪な待遇は見て見ぬふりをしています。
男性と女性
「おっさん」として既得権益の甘い蜜を吸える第二の条件は「男性」であることです。
2014年時点でアメリカの女性管理職の割合が43%であるのに対して、日本は11%に過ぎません。
ジェンダーギャップ指数も世界最底辺の110位です。
そして、大卒の女性よりも高卒の男性の方が高い割合で出世しています。
日本人と外国人
そして、「おっさん」になれる最後の条件が「日本人」であることです。
例えば、日本の企業は海外進出する際に、本社採用と海外支社の現地採用に分けますが、待遇の差を設けています。
これは国籍による差別を公然と行っているということです。
「おっさん」は既得権益にしがみつくために「奴隷労働」をする
このように、日本において既得権益側に入れるかどうかは、中世の「身分」と同じくらい、待遇の差をもたらすのです。
その結果、既得権益側でい続けるために「おっさん」たちは「奴隷労働」を行います。
正社員は「非正規になりたいのか」という圧力の前に、ほとんど不当な異動や転勤に文句を言えず、「サービス残業」を強いられます。
この状態を筆者は端的に以下のように表現しています。
短時間労働の非正規雇用が増える一方で、そのしわ寄せが正社員の長時間労働につながっているという日本人の働き方の特殊性が表れています。
しかし、この働き方はグローバルスタンダードから見れば非常に非合理であり、生産性が低いものです。
グローバル化がさらに進展し、合理的で生産性の高い海外企業と競わなければならなくなったとき、以上のようないびつな制度は駆逐されることになるでしょう。
過酷な変化の波を乗り切ったものには、自由で柔軟な働き方が待っている
このように、日本の現在の働き方は世界的に見れば異常であり、グローバル化が進めば進むほどそれは不利に働くでしょうk。
労働者は否応なく、働き方を2.0~4.0へと変化させざるを得なくなります。
その適応は大多数の人間にとっては苦痛そのものでしょう。
しかし、その変化はマイナスだけではありません。
例えば「ブルジョア・ボヘミアン」という生き方がそうです。
フリーエージェント(働き方4.0)になれば、好きな時に好きな相手と好きな仕事をできるようになります。
実際にフリーエージェントとして仕事をしながら世界中を旅する若者が増えてきています。
また、夫婦がともにフリーエージェントであれば、忙しい時は子育てを相手に頼むことができるようになるため、「仕事」と「家庭」は両立するものになります。
また、アメリカの若者を中心に「FIRE(経済的に独立し、早く引退しよう)」という、40前後でのリタイアを目指す運動も広がってきています。
このように過酷な変化の波を乗り切ったものには、自由で柔軟な働き方が待っています。
橘玲『働き方2.0vs4.0』の思わず引用したくなる名言
社会がかんぜんにリベラルになれば、あらゆる差別はなくなるのですから、成功や失敗は「自己責任」で決まるほかなくなります。社会がリベラルになればなるほど、個人の「責任」が問われるようになるのです。
そして裁判所も、生活の安定と引き換えに「社畜の幸福」を得る制度を堂々と認めているのが「先進国」日本の真の姿なのです。
要求される知能のハードルがんどん高くなり、多くのひとたちが中流から脱落してしまいます。
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