『行き止まりの世界に生まれて』の感想と考察|「つながり」という呪い

Skateboard 映画
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※ネタバレ注意

第91回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート作品である『行き止まりの世界に生まれて』を観ましたので感想を述べます。

ビン・リュー『行き止まりの世界に生まれて』2020年。

 

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『行き止まりの世界に生まれて』の内容紹介

グローバル化によって製造業が衰退したアメリカのラストベルトに位置するロックフォードに暮らす、ビン、ザック、キアーの3人の青年の12年間を追ったドキュメンタリーです。

彼らはそれぞれ家庭に問題を抱えていて、居場所を求めて街中でたむろし、スケートボードにのめりこむようになります。

スケートと仲間、これがあれば悲惨なロックフォードに住んでいても「自由」に生きられる!…そのような活力に彼らは満ちていました。

しかし、彼らは大人になるにつれてそれぞれ道を違えていきます。

かつて大切だったものが大切ではなくなっていきます。

この街に囚われている!人生を変えたい!

抱いている想いは同じはずなのに。

彼らがスケートボードで滑走する道は、行き止りの外へとつながっているのでしょうか。

『行き止まりの世界に生まれて』の良かった3つのポイント

1.道をスケートで滑走する映像の疾走感!

青年たちがスケートで街中を滑走している姿を後ろから追っているシーンは、スケートで並走しながら撮っているのでしょうか。

なめらか過ぎてドローンで撮っているようにも感じました。

映像の疾走感はこれだけで見る価値があります!

2.手放したくても手放せない「つながり」の毒々しさが痛いほど伝わってくる!

「つながり」は大切だからこそ逆に呪いにもなります。

その描き方には思わず鳥肌が立ちました。

3.リアリティの重さが尋常ではない12年間を実際に追ったドキュメンタリー!

12年間を実際に追っているので主人公たちがめちゃくちゃ仲が良かった時代から、心が離れていく時代への落差がこれでもかと表現されています。

『行き止まりの世界に生まれて』の感想と考察

この作品を一言で表現するなら「つながり」だと思います。

ビン、ザック、キアーの三人の主人公たちは家庭にそれぞれ問題を抱えています。

製造業が衰退したラストベルトに位置するロックフォードで起きている出来事であることが輪をかけて、彼らの閉塞感を強めています。

俺たちはこのままでは街に囚われて、不幸なままだ!

しかし、家族を嫌いになり切れず、縁も切れないでいる。

大切だからこそ、それは厄介な束縛になります。

自分にとってマイナスだとわかっていてもなかなか断ち切れません。

愛しているからです。

このテーマは園子温監督『紀子の食卓』に通じるものを感じました。

園子温『紀子の食卓』2006年。

例えばキアーは「この街にいたら動けなくなってしまう」と言いながら、「街を出ていくぞ、出ていくぞ」と言っている「変わろうとしている」現在が心地いいように見えます(少なくとも途中までは)。

さらにロックフォードが、アメリカの中でも家庭内暴力が多い町であることもその「つながり」の恐ろしさを一層引き立てます。

映画の中で、家庭をうまく営めない人たちが、幼少のときに虐待など恵まれない環境で育ったことを話すシーンがあります。

貧困や暴力が連鎖し、この街の文化として過去から未来に「つながっている」。

松岡亮二氏『教育格差』という書籍の中で、子ども学力の差は、小学校に入る前から親によってほぼほぼ決まっているという恐ろしい研究結果が紹介されています。

松岡亮二『教育格差』筑摩書房,2019年。

学歴が高い親は、これまでの人生を通して学校の文化になじみやすい文化を身に着けていて、意識・無意識問わずにそれを子供に伝達しています。

例えば、目上の人に素直に従うであるとか、家で本を読む習慣であるとか、敬語を使うであるとかです。

それを受け取った子供は、そうではない子供よりも必然的に学校において有利になりやすいです。

自分が生まれ育った環境の影響はなかなかぬぐえないのです。

そしてその影響は、たとえ環境を変えたとしても中々払しょくできません。

というのは、どのような環境を新しく選ぶかという形で、そのあとの選択肢にもこれまでの人生を反映してしまうからです。

ザックがキアーたちとと疎遠になった後、別の仲間とつるむことになりますが、それはさらに一般社会から遠ざかった「今だけを見て飲んだくれている集団」です。

キアーたちは、一般社会の価値基準からみてこれまでよりも「まじめ」な友人たちとつき合うようになるにもかかわらず。

認めたくないんだ。
人生が苦しいのは俺が最低だからなんて。
だから酒を飲むんだ。
消えてしまいたい。

絶望的な気分だ。
俺の敵は俺だった。
このクソみたいな人生を選んできたのは俺だった。
逃げ道はない。

ザックのこのセリフは恐ろしすぎて鳥肌が立ちました。

自分をここまで客観視できている青年が、それでも自分を変えられない。

生まれた環境、そして自分というものの拘束力がどれほど大きいかを示しています。

それはさながら「呪い」です。

この世には絶望しかないのか…

しかし、ラストはその絶望の中にかすかな光が見えます。

彼らのスケートボードは行き止りの世界の外まで連れて行ってくれたのでしょうか。

 

 


 

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