自分は社会が求めるものとは別の欲望を抱えている。
しかし、その欲望を実現しようと社会に立ち向かうのはつらい。
かといって、その欲望を見ないふりをして周囲に合わせて生きるのも苦しい。
このような葛藤を抱えている方はいらっしゃいますでしょうか。
そんな方におススメの小説があります。
それは第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香『コンビニ人間』です。
この記事では、『コンビニ人間』のネタバレあらすじをまとめ、解説を行います。
村田沙耶香『コンビニ人間』を理解する3つのポイント・テーマ
・主人公の抱える「欠陥」:内発性と同調性
・異物と社会
・主人公の変化:「コンビニ人間」とは
村田沙耶香『コンビニ人間』のネタバレあらすじ
36歳未婚、彼氏なし。就職経験なしでコンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
彼女は幼少時代から自然に常識を理解したり、自然に周囲の人に合わせる能力に「欠陥」を抱えていた。
本人は気にしていなかったが、周囲の反応が面倒であるため、彼女は自分を出すことを封印し、意識的に周囲の人間の言葉遣いや行動、細かい所作をまねることで常人に「擬態」するようになった。
そんな彼女にとって、マニュアル化されたパターンにそって働けるコンビニは居心地がよく、初めて社会の歯車になれていると思える場所だった。
しかし世間への「擬態」のために始めたコンビニアルバイトも、30歳を超えたあたりから結婚もせずに続けることは、世間から「浮く生き方」になってしまっていた。
周囲の人間のぶしつけな好奇心にさらされ、質問に答えることに辟易していた彼女は、婚活目的でコンビニアルバイトを始めた35歳男性の白羽を家で養う代わりに、「結婚を考えた恋人」として世間に対して使うことにする。
しかし、アルバイトの給料だけでは二人の生活を支えることは難しい。
そこで恵子は、白羽に促されるままにコンビニをやめ、就職することにする。
しかし、コンビニ店員に最適化して「擬態」していた恵子は、自分の意思決定の基準になっていた「コンビニ店員としてどう行動するべきか」という基準を失ったことで、どのように生きれば良いのかわからなくなってしまう。
そんなある日、就活の面接に向かう途中に立ち寄ったコンビニで、自然と店員として最適化された動きをする自分の体に気づく。
白羽の制止を振り切り、恵子は再びコンビニでアルバイトをするために行動を開始する。
村田沙耶香『コンビニ人間』の解説
主人公の抱える「欠陥」:同調性と内発性
周囲から浮きまくる主人公の古倉恵子、彼女には主に2つの「欠陥」があるように思います(少なくとも世間の側から見ればそう見える)。
それは同調性と内発性です。
同調性
「同調性」とは集団の同調圧力への反応のしやすさです。
人は無意識のうちに自分の属している集団の「常識」を読み取り、行動をそれに合わせることができます。
言動や興味関心、ファッションなど、一緒にいるグループのメンバーは皆似てくるかと思います。
また、文脈も同じ集団に属していればある程度理解することが出来るようになるでしょう。
しかし、主人公は違います。
例えば、小学校の時クラスの男子同士が喧嘩をしました。
「誰かとめて!」と言われた場合どのような行動の候補が上がるでしょうか。
1,間に入って二人を引き離す
2,先生を呼びにいく
だいたいこれくらいでしょうか。
「とめて!」の「だいたいこれくらい」という範囲を理解するのが文脈を読み取る力であり、普通の人間であればそこを大きく読み違えることはありません。
そして一度その文脈・常識を読み取れば、それに合わせるように集団圧力がかかります。
「浮いていないかな」という心理的な抵抗がかかり、それを逸脱する行為が難しくなります。
しかし、主人公は違います。
主人公はモノで喧嘩している男子の頭を血が出るほど殴りつけ、物理的に「停止」させようとします。
このように主人子は、周囲の「だいたいこれくらい」という常識を無意識の内に理解することができず、またそれに合わせさせようとする集団圧力を感じることができないのです。
橘玲『スピリチュアルズ』によれば、同調性という能力は正規分布するのではなく、高い方が圧倒的に多いといいます。
人間は社会を形成する動物である以上、そこからはじき出されるのは致命的であり、そのため同調性が低い個体は生き残りづらいからとのことです。
主人公のようなタイプがどれほど社会の中で生きづらいかお分かりいただけましたでしょうか。
内発性
人の行動パターンには二種類あります。
一つはそれ自体がやりたくてやる行為。
趣味や好きでやっている仕事などがこれに当たります。
二つ目がそれ自体はやりたくはないが、目的を達成するという損得計算でやっていること。
これには練習ややりたくない仕事が当てはまります。
その違いは端的に言えば動機づけがどこから生じているかです。
前者は、自分の内側からの「やりたい」に従っています。
後者は、自分の外側に目標があって、自分の内側にあるのは損得計算のみとなります。
前者の内から湧き上がる衝動を、社会学者の宮台真司氏は「内発性」と表現します。
主人公にはこの「内発性」が欠けているのです。
その結果、自分の中にどう行動するかという基準がないため、人の命令に従うことを苦としません。
全てを意識して行う異常
以上のように主人公は同調性と内発性が欠けています。
その結果、自分の内側からの衝動もなく、外側からの圧力に流されることもない主人公は、放っておけば人間として全く異質な行動パターンをすることになってしまします。
そこで主人公は、口調やファッションは同年代の同僚のものを真似、コンビニで働くのに最適なリズムで生活する、というように全て「意識」して、行動パターンを作る必要があります。
例えるなら、歩くときに「まずは右足を前にだし踵からつけてつま先に抜き、そして左足を前に出して…」と意識しているようなものでしょうか。
主人公がどれほど世間と合わせづらい「欠陥」を抱えているかお分かりいただけましたでしょうか。
異物と社会
このように致命的な「欠陥」を抱えている主人公に対して社会は、「排除」するべく圧力をかけてきます。
学生時代の同級生は「なんで結婚しないの?なんで就職しないの?」とたえず問いかけてきます。
家族も「異常」な主人公を「治そう」と病院に連れて行こうとします。
アルバイト先の同僚には「危ないやつ」として、1人だけ飲み会にも誘われません。
社会はこのように「異常」な存在を、法という強制力だけではなく、集団からの排除という形で「正常」に修正しようとしてきます。
そのことを端的に表現しているのが、作中の以下の文章です。
正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。
この「異常と社会」という主題は、コンビニ人間に限らず村田沙耶香作品共通のテーマです。
主人公の変化:「コンビニ人間」とは
では、「欠陥」を抱えた主人公が、社会からの圧力にさらされることでどのように変化したのでしょうか。
物語の最初と最後とで主人公はどのように違うのでしょうか。
結論を言えば、物語を通して主人公にとっての「コンビニで働く」ということの意味合いが大きく変わりました。
「コンビニで働く」が「目的合理性から価値合理性へ」と変わったのです。
目的合理性と価値合理性
「目的合理性」と「価値合理性」という言葉は社会学者のマックス・ウェーバーが使用した言葉です。
「目的合理性」はある行為が特定の目的を実現するにあたって合理的かどうか(役立つかどうか)ということです。
例えば、生活費を稼ぐという目的があったとしたとき、「趣味」に没頭するという行為は目的合理性はありませんが、「労働」という行為には目的合理性があります。
一方「価値合理性」とは、自分の価値観に照らして合理的かどうかということです。
つまり、やる価値を感じるかどうかということです。
自分の価値観に照らせば「趣味」は価値合理的でありますが、それ自体に意味を見出せない「労働」に価値合理性はありません。
この区分を、『コンビニ人間』に適用してみましょう。
コンビニで働くことが手段から目的へ
主人公は当初コンビニで働くことは社会に擬態するための手段でした。
つまり、主人公にとってコンビニで働くことは目的合理的行為でした。
しかし、一度コンビニから離れることで、自分のなかでのコンビニという存在の大きさを自覚した後は違います。
そのことは下記の表現がこれでもかと叫んでいます。
そのとき、私にコンビニの「声」が流れ込んできた。コンビニの中の音の全てが、意味を持って震えていた。その振動が、私の細胞へ直接語りかけ、音楽のように響いているのだった。
この時点ではもはや、「コンビニで働く」ことは単なる手段ではなく、悦びを生じさせるそれ自体が価値のあることとなっています。
つまり、主人公にとってコンビニで働くことは価値合理的行為へと変わったのです。
彼女はついに「コンビニ人間」となったのです。
「コンビニ人間」になることで「欠陥」は解消されたのか
「コンビニで働く」が「目的合理性から価値合理性へ」と変わったということは、別の表現を使えば、「内発性」を獲得したといえるでしょう。
先ほど述べた恵子の二つの欠陥、「内発性」と「同調性」の内、「内発性」を獲得したのです。
このことで主人公は「欠陥」を少しは埋め合わせ、「正常」に近づけたのでしょうか。
いいえ、違います。
主人公はさらに異常な存在へと変質しています。
「同調性=無、かつ、内発性=有」の組み合わせは、「同調性=無、かつ、内発性=無」の組み合わせよりもはるかに危険で異質です。
考えてみてください。
社会と同調できない人物が、モチベーションなくひっそりと暮らしている姿と、他の人には全く理解できないモチベーションに駆られて目をギンギンにしている姿と。
後者の方が圧倒的に危険でしょうか。
その証拠に、同じくうまく社会になじめない存在として当初描かれていて同居するまでに至った「35歳で恋愛厨してコンビニアルバイトをクビになった男性」白羽も、最後には主人公に対して以下のような言葉を吐き捨てます。
気持ち悪い。お前なんか、人間じゃない
村田沙耶香『コンビニ人間』の引用したくなる名言
コンビニは強制的に正常化される場所だから、あなたなんて、すぐに修正されてしまいますよ。
そうか。叱るのは、「こちら側」の人間だと思っているからなんだ。だから何も問題は起きていないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」にいる姉がいるほうが、妹はずっと嬉しいのだ。
“全てを、コンビニにとって合理的かどうかで判断していた私は、基準を失った状態だった。この行動が合理的か否か、何を目印に決めればいいのか分からなかった。”
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