第93回アカデミー賞で6部門を受賞した『ノマドランド』を観ましたので、あらすじと感想と感想を述べます。
ジェシカ・ブルーダー『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』春秋社、2018年。
また、少々無粋かもしれませんが、この作品を通して現代ノマドについても考えます。
『ノマドランド』のあらすじ
主人公のファーンは、ネバダ州のエンパイアという街で臨時教員をしていました・
しかし、リーマンショックの影響で街の経済を支えていた工場が閉鎖。
それに伴い、なんと街も閉鎖されることになりました。
家を追われた彼女は、自家用車に乗りながら生活をし、仕事を求めてアメリカの各地をさまよい、期間工のような単発の仕事をしながら食いつないでいます。
「現代のノマド」ともいうべき生き方です。
車の故障やっ突発的な病気、仕事の契約期間の終了などの不安がいつも付きまとう不安定な生き方です。
ファーンも冒頭では陰鬱とした表情を浮かべています。
その様な生活をしている中で、彼女は他のノマドと交流をしていきます。
また、砂漠、大森林、雪景色などアメリカの各地の大自然の中で自分を見つめます。
物語を通して彼女はどのように変化していくのでしょうか。
『ノマドランド』の3つの見どころ
広大な自然と映像美
主人公の視点と同一化することで生じる感覚
出演しているノマドは実際のノマド!?
『ノマドランド』の感想
映画を観終わって心に浮かんでいたのは、「世界観次第でここまで同じものを見聞きしても、見え方や聞こえ方が変わってくるのか」という驚きです。
そして、それを映画という媒体でここまで見事に観客に体験させることができるのかという感動です。
『ノマドランド』では最初と最後で同じカットや似たようなセリフが出てきます。
例えばその一つが、Amazonの倉庫の描写です。
主人公のファーンは冒頭のシーンで、単発の仕事としてAmazonの倉庫で働きます。
Amazonの倉庫の外観を映すカットがありますが、倉庫の巨大さと、中で働く人間が自動化されたベルトコンベアの部品のように働く非人間性が相まって、「悪の帝国GAFA」的側面を印象付けます。
まさにジェームズ・ブラッドワース氏の『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した~潜入・最低賃金労働の現場~』で描かれているような存在としてAmazonが立ち現れてくるわけです。
ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した~潜入・最低賃金労働の現場~』光文社、2019年。
しかし、後半ではその見え方が変わってきます。
後半でも全く同じAmazon倉庫の外観のカットが出てきます。
その時もAmazonでの労働が非人間的なことには変わりがありませんが、「よう、あんたあたしを搾取すんだろ?こっちも生活のために利用してやるよ」のような、ある種の悪友感があるように立ち現れてきます。
同じ画が全く違うように見えたので驚きました。
また他の見え方が変わったものの例として、登場する脇役のノマドが自分たちの生活を「自然との調和」という言葉で、普通に仕事をして定住している生活よりも良いものだと表現するシーンがあります。
Amazonの倉庫のシーンを見た後ではそれは「負け惜しみ」にしか聞こえず、滑稽なルサンチマンとしか思えません。
しかし、物語の最後で再びその言葉が登場した時には、心から納得できました。
なぜこのような変化を観客に生じさせることができたのでしょうか。
それは、映画の表現が巧みに観客を主人公のファーンの視点に一体化させ、彼女が様々な経験を通じて獲得した変化を観客においても引き起こすことに成功しているからです。
主として「ノマドとしての時間の積み重ね」と「絵画的な画の美しさ」がそれを可能にしています。
物語の中で、主人公は全米各地をさまよい、他のノマド達と交流を深めます。
決してコミュニティといえるほどの強固なつながりではありません。
仕事の都合で移動して、たまたま同じ場所で駐車する機会があれば、セッション的に交流します。
深く相手に立ち入らず、また仕事が終われば一人、また一人と去っていき、バラバラになります。
小さな単発単発の交流であり、変化の「きっかけ」となるような劇的なことは何も起こりません。
時間の経過は主人公の中で積み重なり、地層なものとなって主人公の世界観を作っていきます。
観客もまた、他のノマドのとの何気ないやりとりの時間を、ファーンを一緒に過ごすことになります。
その過程で自然と彼女たちの現状に対する見方に変容が生じるのです。
なお、後で知って驚いたのですが、登場しているノマドは、実際に現実の世界でノマド生活をしている人をキャスティングしているようです。
彼女たちの振る舞いの自然さや言葉の説得力に納得がいきました。
さらにファーンたちの生活の見方が変わる要素として、映画の中では主人公が独り、広大なアメリカの自然の中で佇むシーンも重要です。
暮色に染まるステップ地帯、視線を遮るものはなく、地平線の果ての山脈にぶつかる。
紀元前から育ってきたかのような大樹の森林。
画の一つ一つが絵画的で非常に美しかったです。
特にファーンが、森林の中を流れる小川に浮かんでいるシーンはミレーの『オフィーリア』をモチーフにしているかのようで、幻想的でした。
このようにファーンと共に、他のノマドとの交流や広大な自然の中で時間を過ごすことで、彼女と共に、彼女のノマド的状況を肯定できるようになっていきます。
もちろん、車の故障や病気、お金を家族に無心するシーンなどが描かれており、きつい状況であることは物語の最後でも変わりません。
それでもなお、いやそのような孤立無援な悲惨さによって、一層ファーンが営むのノマド的な生活の強さと美しさが際立たされます。
「孤独であっても強く、気高く、美しく」、作中の言葉で言えば、彼女たちノマドこそ真の「伝統的アメリカ人」です。
『ノマドランド』から現代ノマドの生存戦略について考える
とは言え、彼女の「悲惨」なノマド生活が美しく見えるのは、映画だからということは忘れてはいけません。
映画のような目線を現実にも送ることは重要だとは思いますが、できるなら、同じノマドでもあの不安定な状況は多くの人が避けたいと思うのではないでしょうか。

街の閉鎖なんてそうそうあるわけないじゃん。安心、安心。
そのように感じられるかもしれません。
たしかに、街が閉鎖されて強制的に移住ということまでにはならないかもしれません。
しかし実は、私たちの生活は刻一刻とノマド的な「流動性」のある生活に近づいています。
例えば、AIなどのテクノロジーの進歩を見越して企業が正社員の雇用を回避するなど、非正規雇用やギグワークなどの単発の仕事の割合が増えています。
こうした圧力は社会的なものなので、個人がノマド的な生き方を望む望まない関係なく、社会全体としてはそのような働き方・生き方をする人口がどんどん増えていくでしょう。
筑波大学准教授で事業家の落合陽一氏は『2030年の世界地図帳』でギグワークのような働き方について以下のように言っています。
落合陽一『2030年の世界地図帳 あたらしい経済とSDGs、未来への展望』SBクリエイティブ、2019年。
一見、自由な働き方に見えますが、一部のサービスでは福利厚生や保険、有給休暇がないといった問題が指摘されることもあります。従来のフリーランスは、そのリスクの代償に高給を得るチャンスもありましたが、ギグ・エコノミーでは、透明性と流動性が高いオンラインの市場によって、労働単価は低く抑えられます。
いざというときのために何の準備も行わず、ただ漫然と社会の変化に流されてノマドになっていたのでは、ファーンたちと同じようにかなり厳しい状況に置かれるということです。
それを避けるためには、ファーンたちのように、経済や環境に強いられてノマドになるのではなく、もし仮にノマドになっても問題ないようしっかりと準備と心積もりをしておく必要があります。
そのためにどのようなことをすればいいのかに関しては、現在積極的に自分からノマドになった人の話が参考になります。
例えば、本田直之氏の『ノマドライフ』の著書はそういった書籍に該当するかと思います。
本田直之『ノマドライフ 好きな場所に住んで、自由に働くために、やっておくべきこと』朝日新聞出版、2012年。
本書では、現在ノマドとして一年の6割をハワイでサーフィンをして過ごす本田直之氏がノマドになるまで、どのような準備を行ってきたか描かれています。
『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』が指摘するように、やはり今ほど未来を見て自分を適用していく必要性がある社会はないようです。