村田沙耶香さんの『殺人出産』を読みましたのであらすじと感想をまとめます。
『殺人出産』のあらすじ
少子化が最も深刻な問題となった日本、そこでは殺人が条件付きで合法化されていた。
その条件とは10人産むこと。
10人産めば、1人殺す権限が与えられる。
会社員の育子には10代からその制度に参加している姉がいた。
蝉の声が響く夏、姉の10人目の出産が迫る。
そんな時、ルドベキア会と呼ばれる「殺人出産システム」に反対する組織の人間が育子に接触してくる。
『殺人出産』の3つの注目点
・村田沙耶香さんの作品は価値観をぐちゃぐちゃにする
・狂気がシステム=正常の一部になるという狂気
・異常な世界に説得性を持たせる描写がものすごい
『殺人出産』の感想
村田沙耶香さんの作品は一貫して、既存の価値観や常識に揺さぶりをかけてきます。
例えば、『殺人出産』であれば「殺人は悪」という価値観に対して疑問を投げかけています。
「どういった条件なら殺人が認められるか」
その様な問題設定から出発し、「人口減少という問題を解決する手段としての殺人ならどうか」というIFの設定を立てます。
そして、そのIFを前提とした社会はどのようなものか、人間関係がどのようなものか、その世界を生きる人間の価値観がどのようなものかを想像します。
『消滅世界』でも同様の作りになっています。
「性的パートナーと配偶者は一致する」という常識的な価値観に対し、「夫婦と性的パートナーが必ずしも一致しない世界はどうか」という疑問を投げかけ、そのIFの世界の想像を膨らませています。
現代では「狂気」とみられるものが社会のシステムに取り込まれるという世界設定は、アニメ『PSYCHO-PASS』と同じくらい巧みで迫力があります。
吉上亮『PSYCHO-PASSサイコパス3〈A〉』 集英社、2019年。
他のSFと違うのは、その世界のリアリティを出すのに「設定の緻密さ」という手段を採らず、「表現力」に依っているということです。
具体的には、登場人物の内的世界と行動パターンといった人物像の作りこみと描写です。
例えば、『殺人出産』に収録されている短編に「トリプル」という作品があります。
その作品の世界の若者たちの間では、2人1組の「カップル」ではなく、3人1組の「トリプル」という恋人関係が流行っている、あるいは主流になっています。
筆者は「トリプル」ならどのような性行為を行うかという設定を膨らませ、ディテールを描きます。
また、「トリプル」側から「カップル」の性行為を覗くシーンがありますが、それが「トリプル」側の主観世界において非常に気持ち悪く映るさまを、迫力のある描写で読者に提示します。
筆者のそのような表現力による説得によって、読者は感覚的に別の常識を持った登場人物の主観世界を体験することが出来ます。
論理的に「時代が変われば常識が変わる」と説得されるのとは全く違った読後感と、説得力があります。
さらにいえば、この村田沙耶香さんの本当にすごいところは「常識なんて今だけのものでそれを信じている奴はバカ」という陳腐な露悪趣味に陥らないところです。
必ず露悪的な登場人物に疑いを投げかける登場人物が登場し、その露悪趣味自体にも疑いを投げかけます。
また物語の展開や描写でそのような人物が痛々しく映る瞬間を用意しています。
ディストピア的な設定で今の価値観を否定すると同時に、その新しい世界観も否定し、その否定している価値観もさらにメタレベルで否定する。
筆者が価値観というものに安易に結論を出さず、真摯に向き合っていることが伝わってきて好感が持てます。
まあ、そのぐちゃぐちゃを回収するためにラストがB級ホラーのような展開になることもしばしばですが…笑
これは余談ですが、筆者のそのような「常識への揺さぶり」の対象になるのはかなりの頻度で「家族」です。
それは必要なのか、今の形以外にはあり得ないのか。
筆者がそのようなテーマを取り上げ続ける動機づけが気になるところです。
『殺人出産』の最高にしびれたセリフ
あたしたちの世代がまだ子供のころ、私たちは間違った世界の中で暮していましたよね。
殺人は悪とされていた。
殺意を持つことすら、狂気のように、ヒステリックに扱われていた。
昔の私は、自分のことを責めてばかりいました。
何度命を絶とうとしたかしれません。
でも、世界が正しくなって、私は『産み人』になり、私の殺意は世界に命を生みだす養分になった。
そのことを本当に幸福に思っています