『葬送のフリーレン』のあらすじと感想|思わず泣けるのは何故か

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「このマンガがすごい!2021」で2位にランクインした『葬送のフリーレン』を読みました。

山田鐘人『葬送のフリーレン(1)』小学館、2020年。

感想。

葬送のフリーレンは泣ける。

その一言につきます。

ではなぜ泣けるのか。

この記事では『葬送のフリーレン』のあらすじと感想をまとめながら、その疑問の答えを見つけていきたいと思います。

『葬送のフリーレン』のあらすじ

『葬送のフリーレン』は異世界における勇者対魔王のファンタジーです。

しかし、この物語には普通のファンタジーと異なる点があります。

それはこの物語が、勇者一行が魔王を倒した後の話だということです。

お人よしかつナルシストの勇者ヒンメル、酒が大好きな生臭僧侶ハイター、ドワーフの戦士アイゼン、そして本作の主人公で魔法使いエルフのフリーレン(参考:wiki)。

魔王を倒した勇者パーティ4人の後日譚です。

4人で仲良く、平和になった世界を旅してまわる…と思いきや時間は一気に跳躍。

人間である勇者と僧侶は物語の冒頭で老人になり、そして他界します。

一方、フリーレンだけは全く老いを見せません。

魔王を倒すための冒険をした当時と同じ容貌をしています。

1000年以上の時を生きるエルフのフリーレンと人間は生きている時間軸が違うのです。

フリーレンにとって彼らと過ごした時間は、これまで生きてきた時間はほんの1%にも満ちません。

そのはずが、彼らと生きた時間がフリーレンの人生に大きく影響を与えることになります。

残されたフリーレンはどのような人生を送るのでしょうか。

『葬送のフリーレン』の3つの注目ポイント

・人の生に意味を与えるものは一体何なのかを問う作品。

・個の一生よりはるかに長い時間軸で人の人生を考えさせてくれる。

・受け継ぎ、伝承することで人は個の生を超えることができる。

『葬送のフリーレン』の感想

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簡潔にいえば、『葬送のフリーレン』は「生きる意味」という問題に、時間軸のズレという設定を利用することで見事に回答している作品だと言えるでしょう。

そのことが意味することをこれから説明していきます。

生きる意味の歴史的変遷

生きる意味は何か。

その問いに答えることが今以上に難しい時代はないのではないでしょうか。

中世であれば、生きる意味は「神」が与えてくれました。

例えば、この世で善く生きれば死後に神が迎えに来て神の国に行ける、などです。

しかし、その状況は科学の進歩して、「果たして神は存在するのか」という疑問が膨らむことで、徐々に揺らいでいきました。

その決定打になったのは有名な哲学者ニーチェの「神は死んだ」の宣告です。

そのあとの、いわゆる近代では「国家」が生きる意味を与える位置に収まりました。

お国に貢献すればあなたは国の歴史に名を残し一族の誉れとなる、ということです。

しかし、その状況も第二次世界大戦後にグローバル化が進み、国家という枠組みが徐々に相対化されることで、揺らいできました。

その後、人生の意味は会社であったり、家族であったり、どんどん小さな単位にゆだねられるようになりました。

生きる意味が個人にゆだねられる現代のつらさ

そして、現在、どうでしょうか。

「これこそが人生の意味だ」ともっともらしく教えてくれる存在はいなくなりました。

ひとりひとりの個人が自分の人生の意味を見つけていなければならない時代になりました。

「個性」だとか「自分らしい生き方」とか「好きなことを仕事に」のような自己啓発的キーワードが本屋の雑誌コーナーで目立つようになったのは、そのような文脈があるからです。

このような現代社会において、主流な考え方は「客観的な生きる意味がないんだったら、自分の利益が生きる意味じゃね」というものです。

たしかに、一理あります。

客観的な指標がないのであれば、確かなのは自分の感情だけ。

自分の感情が快とするものを目指して生きるというのは合理的に思えます。

しかし、その生き方には弱点もあります。

それは「不安定」ということです。

個人の感情だけを指標にして、つまり自分のために生きているのでは、自分の気分が変わったときにその指標はガラクタになります

「気が変わった。こんなことして何の意味があるんだ」

今までそのような「シラケ」の瞬間を味わったことがある人は多いのではないでしょうか。

さらに、自分の感情だけが指標になっているので、シラケそうになっても自分に「意味があることだよ」と説得してもう一度モチベーションをかけてくれるのは自分しかいません。

一方、神や国家、企業や家族といった他者が生きる意味の基準である場合、一定の安定感があります。

自分の気分が変わったからといって、他者の価値観は変わりません。

「スポーツばっかりやってきたけど、これからは勉強に集中する」と自分の価値観が変わったっとしても、社会におけるそれらの位置づけは変わったりはしません。

また、他の人も意味があると信じているので、その雰囲気が「あ、やっぱりこれって意味あるかも?」と自分を説得するのに役立ちます。

自分だけで自分を説得しなくてもよくなります。

もちろん、だからといって他者に生きる意味をゆだねることにはデメリットもあります。

それは他人に縛られるということです。

もし、自分の価値観がどうしても社会と合っていなかったときは、ものすごく生きづらくなります。

その極端な例が中世の魔女狩りです。

つまり、現代は自由を手に入れた代償に、生きる意味を個人で引き受けなければならなくなった時代といえるでしょう。

そのことがもたらす不安定さや不安感、孤独感には身に覚えがある人も多いのではないでしょうか。

『葬送のフリーレン』での生の意味の描かれ方

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では、葬送のフリーレンでは「生きる意味」は一体どのようなものとして描かれているのでしょうか。

それはずばり、「歴史」です。

ただし、「国家」のように上から下の縦の関係から与えられる歴史ではなく、横のつながりによって紡がれる歴史です。

主人公のフリーレンは悠久の時間をひとりぼっちで生きるエルフです。

かつての仲間たちには先立たれます。

彼らが生きた痕跡は何もなくなってしまったのでしょうか。

いいえ、そうではありません。

彼らが魔王を倒す旅で助けた人々が彼らを記憶し、「祭り」などの伝承として残してくれています。

「私たちが忘れてしまったら、彼らが教えてくれたことがこの世からなくなってしまう気がする」と。

フリーレンは旅を続ける中で、そういった痕跡に触れ、その度に過去の仲間の姿を思い出します。

また、彼らの仲間もフリーレンがゆくゆくは独りぼっちになってしまうということに自覚的でした。

お人よしかつナルシストの勇者ヒンメルは、助けた村々で銅像が建てられることにこだわります。

フリーレンは当初、ナルシストという勇者の気質がそうさせるのかと考えていました。

しかし、あるとき勇者はフリーレンに対して以下のようなことを漏らします。

でも、一番の理由は、君が未来で一人ぼっちにならないようにするためかな。

おとぎ話じゃない。
僕たちは確かに実在したんだ。

自分の死後の仲間のことを考える、その現実にはありそうもない美しい利他の精神と気の長い視点に思わず涙がこぼれます。

まさに、「今」「個人」として生きることを強いられている私たちが、気づかないうちに失ってしまっている目線と想いであり、美学です。

個の人間を超えるエルフの目線を導入することで、死後も個の生が残り続けていることを描くことが可能になる。

また逆に、エルフの目線で物事を考えることで、個は自分の殻を破った視点で世界を見ることが出来る。

『葬送のフリーレン』は巧みな設定によって私たちが失いつつあるものを明確に切り出し、「生きる意味」がかつてどのようにもたらされてきたのかを考えさせてくれる傑作です。

フリーレンが葬送してくれているのは、先立っていくの仲間たちだけではなく、私たちが失っていく価値観に対してでもあるのかもしれません。

『葬送のフリーレン』の名言

私はかれとは違うのでおとなしく余生を過ごそうと思っていたのですが、ある時ふと気が付いてしまいまして。

私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意志や友情や、大切な思い出までこの世から無くなってしまうのではないかと。

 

 


 

 

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