スピノザとホリエモンから考える哲学的に幸せな働き方

Spinoza 思想・哲学
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みなさんはどのような働き方をできれば幸せだと感じますか?

学生時代の同級生が「すげー!」というような大企業に勤めるていれば?

責任のある立場を任されていれば?

クリエイティブでイノベーティブでファビュラスな仕事をできていれば?

社会貢献ができていれば?

自分の好きなことを仕事にできていれば?

会社から独立してSNSでフォロワーを何万人も抱えていれば?

現在、インターネットやテレビ、ビジネス書を通して様々な「イケてる働き方」観が氾濫しています。

そうした情報にさらされ続けていれば、何が自分にとっての幸せな働き方かわからなくなるのではないでしょうか。

本稿では、十七世紀の哲学者スピノザの思想に触れることで、そういった「働き方」観を冷静に見つめることができる視点を獲得したいと思います。

そのために主に、國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』を参考文献としたいと思います。

國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社、2020年。

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哲学者のイメージは机上の空論にふける気難しい人?

哲学者にはどのようなイメージを持っていますでしょうか。

暗い部屋で机に向かい合い、難しい顔をして理屈っぽいことを考える人?

社会に交わらずに生きている浮世離れした人?

確かにそういった人もいたかもしれませんが、皆が皆そういった人であったわけではありません。

國分功一郎さんは著書の中で「そういった人は大哲学者ではない。真理を追求する人は命を狙われる」と述べています。

そして、スピノザも机上の空論タイプの哲学者ではありせん。

彼の残した言葉に以下のようなものがあります。

「私は大いに笑うことと、今後自活していくのに必要なだけ働いて、夜は哲学を研究して過ごせるようにすることを望んでいます」

彼にとって、哲学とは自分が今いる場所に根ざして生き方を考えていくものであり、様々な楽しみを知るものこそが賢者だったからです。

以下では、スピノザの哲学の要点を説明します。

スピノザの哲学とは

自分がいる場所に根ざして生き方を考えていく倫理

先にも触れましたが、スピノザの倫理は自分がいる場所に根ざして生き方を考えていくものです。

なので、一般的に「道徳」という言葉からイメージされような、「こうあるべき」といった理想形や超越的な価値観を個々人に強制するようなことはしません。

スピノザにとって善悪とはそれだけで存在しているものではなく、組み合わせです。

例えば、おいしい食事をしたい健康な人にとって焼肉は善ですが、入院中の患者にとっては悪といったことが考えられます。

善悪が組み合わせであるということはどういうことでしょうか。

それは、あるものが存在しているとき、ある出来事が起きたとき、それがその人にとって善か悪かは、その人がどういった性質を持っているかによって変わるということです。

コナトゥスの動きを知ることが重要

組み合わせによって、個々人がどういった性質を持っているかによって善悪が変わると述べました。

その個々人の性質、つまりある刺激があったときにどういった反応を示すかを決めるその人に与えられた身体や精神の条件をスピノザはコナトゥスと呼びます。

そして、そのコナトゥスに従うことがスピノザが定義する目指すべき自由です。

一つわかりやすくする例を挙げてみましょう。

広告で出てくるよさそうな新商品をかたっぱしから買っていると自由なのでしょうか。

一見自由なように見えます。

しかし、スピノザの自由の定義からすると自由ではありません。

というのは広告という外からの刺激にされるがままになって行動していて、その人本来の「コナトゥス」が全然発揮されていないからです。

しかし、人は自分のコナトゥスが何であるのかを生まれながらに知っているわけではないので、コナトゥスに従うことは簡単ではありません。

だから、スピノザは実験を重視します。

色々な実験を繰り返しながら、自分を知り、そうすることで人は自由になっていくのです。

真理は体験するもの

スピノザの哲学は実験をしながら、自分を知ることを重視します。

なので、彼にとっての「真理」とは体験するものなのです。

どういうことでしょうか。

「真理」というと、自然科学の法則のように、証明という形をとって他人を説得できることが前提のように思えます。

しかし、スピノザの哲学はそうではありません。

スピノザの「真理」は他人を説得できることを求めていません。

自分が試行錯誤をしながら体験し、「そうか!」と気づくことを重視する、私的な性質のものです。

だから、スピノザにとって真理は知識として知っているだけでは十分ではなく、自分に変化がある必要があるのです。

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが「わかっているはわかっていない」のです。

ホリエモンを通してスピノザの哲学を理解する

「働き方」という最初の問題設定に引き付けるため、事業家ホリエモンさんの通してスピノザの哲学を理解してみましょう。

堀江貴文『非常識に生きる』小学館集英社プロダクション、2021年。

みなさんはホリエモンさんがどのような考え方を持っているかご存じでしょうか。

一般的なイメージを要約すると「好きなことを新しいテクノロジーを使ってマネタイズして自己実現」といったものになるんじゃないでしょうか。

しかし、それは手段であって目的ではなく、表層であって本質ではないと思います。

それがよくわかるのは彼の刑務所のエピソードです。

彼は刑務所にいるときに、単純作業を割り振られていました。

これまで彼がおこなっていた事業から考えると非常に退屈に感じられるようなものです。

しかし、ホリエモンさんは言います。

「どうすれば早くできるか、そういったことを考えて試行錯誤すれば楽しめた」

彼は実験し、試行錯誤をしながら、何が自分の「楽しい」の琴線に触れるのか知ります。

そのように目の前にあることを楽しむ努力をしながら見つけ、育てた地に足の着いた「楽しい」の琴線=好きなことに従うことを重視しているのであって、「好きなこと」という抽象的な理想に振り回されているのとはわけが違います。

実験し、自分を知り、そしてコナトゥスに従う。

そのために必要であれば新しいテクノロジーも使うし、マネタイズもする。

まさにスピノザ的働き方の例と言えるのではないでしょうか。

「スピノザとホリエモンから考える哲学的に幸せな働き方」の結論

もちろん劣悪な労働環境の企業からはすぐに離れるべきです。

また、今の現状が本当につらいのであれば、環境は変えることは選択肢の一つです。

ですが、「なんとなくやりたいことができていない」とか「なんとなく今の給料で満足できない」とか、「イケてる働き方」というイメージに振り回されて目の前の仕事にコミットできないのは何の解決にもならないではないでしょうか。

「何が楽しくないのか」といった自分のコナトゥスに向き合わずに転職したとしても、しばらくすればまた同じ問題にぶつかる可能性が高いです。

ひとまず、読書等で情報収集をすることと並行して、目の前の仕事に向き合い、実験を繰り返し、自分を知ることから始めてみてはいかがでしょうか。

 

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